オーロラが見れる島

第三章 第四話
2005/12/09公開



打ち砕かれる波の飛沫が微かに届くせいか、はたまた他の場所に比べてよく日が当たるからか。
崖付近には草木が少しだけ存在した。
もっとも、それらは全て枯れているものであるが……。

崖の先からは容赦の無い風が強く吹き付けていた。
崖先に近付くにつれて波が島の岸壁に打ち寄せる音が強く大きく聞こえてくる。

枯れた草木が風に晒されているそのあたりには、ミミズ以外のモンスター達がいた。
頑丈な青い甲羅で身を守られている大きな丸い蟹。大きさは子どもが蹲った程はあるのではないだろうか。
体の割には少々小さめの鋏を両手に携えて、じっとしていると思うと、時々思い出したかのようにカサカサと短い距離を移動してまた静止する。
そんな蟹達の近く、地面に近い空をこれもまた大きな魚が泳いでいた。
陸魚と呼ばれるその魚は、空気中を泳いで辺りを動き回っている。
野性的でイビツなヒレを揺らめかせながらゆっくりと枯草の間を泳ぐ。

今までやってきた道のりとは少々雰囲気の違ったその空間に、ぼこりと地面の雪を割って一匹のミミズが姿を現した。
そして長い茶色の体の先に持った触手を蠢かせ、周りの情報を探り始める。
しかし、ミミズが周囲の様子を探り始めてすぐに、ミミズの体は両断されてしまった。

「魚や蟹みたいに絡んでこない子だったら、放っておいてあげられるんだけどね~……」

斬り伏せた張本人のパリスが、どこか申し訳なさそうに言う。
「うーんと………はーい、もう大丈夫だよー」
そして後方の岩肌に張り付いてこちらの合図を待っている仲間に呼びかける。
すると、少々緊張した顔をした二人がそぉっと歩を進めてくる。
「蟹と魚は絡んでこないっつってんだろ」
後ろから二人を監視しているダンが呆れたように言うのが聞こえた。
襲ってこないと教えられていても、実際に見ると怖いものだ。
周囲の蟹や魚へ警戒の視線を向けていた二人も、ダンの一言で少しずつ肩の力を抜いていく。

先にミミズを倒したパリスのところまで来ると、トミーは大きく息を吐いた。
そんな様子にパリスが『はい、お疲れ様♪』と笑い、崖の先を指差す。

「ほら、見てごらん」

風にあおられる髪を押さえながらトミーが覗き込み、リオも隣へ並んで目を見開いた。

「………うあぁぁ~…………」



「何もないですねぇぇ~~~」


「だから、観光地じゃねぇっつってんだろが」

素直な感想を漏らしたトミーに、ダンが苛立った声で返す。
リオも思い切り怪訝な顔をしている。
パリスとロエはその純粋な反応に思わず笑った。

崖の先に広がるのは、大陸でも街でもなく、ただただ黒い海。
水平線がわずかに曲線を描いているのが見えるだけで、海鳥すらいない。
雪を被った枯草と冷たい風が相まって、寒々しい景色が広がっていた。

「本ッ当に面白みのない島ねぇ」
「あ、足元には気をつけてくださいね」
退屈そうにぼやくリオに、ロエがやんわりと注意する。
だが、トミーは何を思ったか、すたすたと崖へ近付いていく。

「え?あの…トミーさん?」

「おぉ~ぅいトミーちゃん、そんなに行くと危ないったら~」

忠告を重ねる二人の声を背中で聞きつつ、トミーは忍び足で崖先に近付いてそ~っと身を乗り出した。
首を伸ばしたマヌケな姿勢で崖下を覗き見ている彼女に、『戻りなさいよ!』とリオも怒鳴る。
リオはさすがに怖いのか、彼女のもとに行こうとはしない。

――と、しばし崖下を見ていたトミーが忍び足でこちらに引き返してきた。
行きは崖先が近くなってから忍び足になっていたが、戻りは何故か終始忍び足。
皆の傍に戻ってくると、トミーはその場にしゃがみ込んだ。

「こ……こわ……怖かった…!!!!!」

「馬鹿じゃないのあんた」

頭上からリオが容赦なく言い放つ。

「落ちたら死んじゃいますよね?」
「死んじゃいますよ~。駄目ですよトミーさん、あんなに近付いたら」

ロエが小さな手でトミーの背中をさすりながら言った。

「ううう……今気が付きましたけど、私、高所恐怖症かもです」

「トミーちゃんてホントに面白いよねぇ……」

笑いを堪えながら言うパリスは、ふと後方へ注意を向ける。

――さて、雷が落ちますかねぇ……。

内心そう苦笑しながら、鬼のような顔をしているであろうダンを肩越しに振り返った。
見ると、後方に立っている男は無表情であった。

うはっ、これが一番怖い!!!!

「……ダン~?」

ご機嫌を伺うように呼びかけると、ダンはハッとしたように視線を戻す。
向けられたその何事かと問うようなダンの視線に、パリスは首を傾げる。
「ん、あれ?………ナニ、今ぼーっとしてた??」
てっきりお決まりの説教をガミガミと始めるものだと思っていた。
あまりにも拍子抜けするダンのその様子に、よく分からないものの笑みを浮かべる。
『あ?あぁ』と微妙に対応に困惑しているダンが可笑しくて、パリスは声を出して笑った。

「あっはっはっはっは、もぉ~見惚れちゃって~やんなっちゃうねぇ~ロエさ~ん」

「え?え?」

突然振られたロエはおどおどと二人を見比べる。
状況が飲み込めない女性陣三人が頭上に疑問符を浮かべ、リオは『何言ってんのこいつ』と冷たく言い捨てた。
尚も愉快に笑うパリスだったが、あまり言っていると暴行を受けるのでパリスは慌てて口を押さえる。

「お~っとっと、危ない危ない。あんまり茶化すと斬られちゃうかも。念のため保険かけとこう」

ちゃっかり茶化しながらそんなことを言って、パリスはブリンクを詠唱した。

ブリンクとは、幻影が身代わりとなって攻撃を一度回避できる魔法だ。
近頃、対モンスターより対ダンテスのために使っていることが多いパリスに、ロエは苦笑した。

パリスが得意げに笑いながらもう一度ダンを横目に見ると、彼は難しそうな顔をしている。
さすがのパリスも眉を寄せた。

「確かに殺風景かもしれませんけど、この島の上空にオーロラが出ることがあるんですよ」

「おーろら?……って、何ですか?」

クフィム初上陸の二人にロエが説明すると、トミーが首を傾げる。
どうやらトミーはオーロラそのものを知らないらしい。
トミーのその尋ねる声が自分の背中に向けられているのを感じたパリスは、ハッとして振り返る。

「あぁ、オーロラっていうのは自然現象のことでね。空に光のカーテンみたいのが現れるんだよ」

「光のカーテン!?どのへんに掛かるんですかそれ?月にですか?」

キョロキョロと上空を見回すトミーは、決して狙ってボケているわけではない。
彼女の脳内では“家の窓のカーテン”サイズで想像されているのだろう。
そのサイズのものが空にひらめくなら、それはただの飛ばされたカーテンだ。

「一面にですよトミーさん、空が光で満たされるくらいに」

「えええっ、すごい!すごい数ですねそれは!!」

とことん噛み合わないトミーに、ロエも困ったように笑う。
パリスは誤解を解く気はさらさらないのでハハハと愉快に笑う。

そしてふと、何となくそわそわした様子で辺りの地面に視線を這わせているリオに目が止まる。
苦笑を浮かべつつ、何も言わずダンのほうへ振り返る。

「おい、そろそろ次に行くぞ」

ちょうど振り向いたところで、難しい顔のダンが言う。
異論はないが、やはりダンの様子が少々気になった。

並んで歩けるのならば小声で少し話をしたいと思った。
けれど、自分は先頭で彼は最後尾のポジションだ。
今のこのメンバーではパリスとダンが前と後ろに位置する以外の位置付けは考えられない。
リンクシェルを使って会話するのが一番手っ取り早いが、それはあまり宜しくない。

トミーがパーティ行動中のリンクシェル会話をあまり良く思わないからだ。
同じリンクパールを持っていない人が仲間外れとなり、内緒話をしているのと同じになるからだそうだ。

ロエも少しダンの様子が気になるのかチラチラと上目遣いに窺っている。
しかし、彼女もその件について知っているので、リンクシェル会話を試みることはしない。
ローディが同行していた間ピリピリしていたのは何となく理解できるとして、今のダンの様子は理由が分からないだけにパリスもロエも首を傾げるしかなかった。


その後、岩壁に挟まれた道を進むと、少し開けた円形の場所へ出た。
中央には池があり、広さのわりに歩ける場所は狭い。
池の周りには枯れ草が生え、その周りをここでもまた数組の冒険者達が動き回っていた。

「ここも割と安全だからね。ミミズを狩るのに良いんだよ」

池から少し離れた端に寄り、パリスが二人に説明する。
島に入ってすぐの道よりもここはパーティの数が少なく、池の周囲では冒険者たちが走り回っている。
トミーとリオはその様子を眺めつつ、「ミミズ狩りをするならこっちの方が良さそうだ」という顔をしていた。

パリスはそこで、しっかりと補足する。
この池の周りには、日が暮れるとワイトというスケルトンが姿を現す。
来る途中で説明したウェポン同様、トミーたちが注意すべき相手だ。
さらにスケルトンは人を感知する能力に長け、負傷していると血の匂いを嗅ぎつけて少し離れた場所からでも寄ってくる。
クフィムでは日が暮れればどこにでもワイトが出るため、たとえ狩りデビューができても、しばらくは入口付近にいたほうが良い――と丁寧に説明すると、二人は青ざめた顔で聞いていた。


その後、冒険者たちがミミズを競って釣っている光景を眺めながら、リオがまた地面をキョロキョロ見始めたところで、一行は先へ進む。
あからさまにムスッとしたリオと色々と捲くし立てまくるトミーを中央に、さらに島の奥へ足を運んだ。

狭い道を抜け、再び開けた場所へ出る。
遠くで、緑色の肌をした巨人が白い息を吐きながら徘徊しているのをビクビクしながら眺めつつ、トミーが思い出したように地図を取り出して広げた。
パリスが現在位置を指し示すと、島の入口からかなり進み、小島の先端近くまで来ていることがわかる。


白く切り立った岩の向こうに、ぼんやりと高くそびえる建造物らしき影が見えた。
「お、見えてきた。あれがデルクフの塔だよ~」
パリスが足を止めて指差すと、トミーは跳ねるように横に並び、首を伸ばして歓声を上げる。
「今日はあの塔の下まで行って、おしまいにしましょかね~」
「そうですね。それが良いと思います」
ロエが頷くと、パリスは「ね♪」と笑ってダンを振り返る。

しかしダンは心ここにあらずで、生返事に近い返答をした。
パリスが苦笑して頭を掻くと、トミーがキッとダンを睨む。
「ダン!もぉ~ちゃんと案内してよー!」
ついに不満の声をあげたトミーに対し、ダンは面倒くさそうに視線を向ける。
「んぁー?……案内はパリスとロエさんで充分だろうが。俺はただの護衛だ」
「退屈ならいーよ、無理して付き合ってくれなくたってさぁぁ~」
肩を怒らせたトミーは、「やる気ないなぁ」とぷいと背を向けた。

いや、ダンは決してやる気がないわけではない。
いつもの両手剣ではなく片手剣と盾を装備している時点で、むしろ気合いは十分だ。

そのことに気づいているパリスとロエは、なんとなく苦笑する。
「ローディさんは親切に色々と教えてくれたのに……あぁあ~帰っちゃってホント残念だよ~」
腰に手を当てて深いため息をつくトミー。その背中に、ダンの眉がぴくりと動いた。
何か言いたげに口を開きかけるが、彼より先にトミーが喋る。

「ところで、ローディさんが言ってたウェポンってどこにいるの?全然見ないね??」
髪をパタパタと揺らしながら辺りを見回すトミー。
ダンは出しかけた言葉を飲み込み、少し苛立った声で答えた。
「あぁ?ウェポンってのは大体ああいうところにいんだよ」
不機嫌な声で言いながらダンが前方を顎で示す。
『どこよぉ』とこちらもふて腐れたような声を出しながらトミーが示された方向を見る。

滑らかな曲線を描く白い形は、一見ただの石壁にも見えるが、巨大な骨のようにも思える。島の入口近くにも似たものがあった気がする。

ぼんやり眺めていると、後ろでパリスが説明してくれた。
「ああいう“骨みたいな石”は、世界のいろんなフィールドにあるんだ。見たことないかい?」
二人が首を傾げると、パリスは続ける。
「あれの近くには大概ウェポンがうろついてるから、注意してね」

説明を聞きながら、トミーは必死にウェポンらしき姿を探す。しかしそれらしい影は見えず、「ん〜」と目を細めていた。
その時――白い石の大きな面の向こう側から何かが飛び出す。
トミーはハッと目を見張るが、それは小柄なタルタル族の冒険者だった。
見間違いかと息をついた瞬間、そのタルタルが叫ぶ。

「うぎゃあぁぁウェポンに絡まれましたあぁぁぁ!!!」

そしてデルクフの塔の方向へ全力で走っていくそのタルタルを追いかける何かを、トミーの目が捕らえた。
タルタルよりも若干体の大きい丸い生物が、枯れ枝のように細い足でタルタルを追っている。
そしてそして、その生物の後に続くように、大きな緑の体が地響きを上げて猛進していた。
どうやらタルタルは巨人を釣ることに夢中になり、ウェポンに絡まれたらしい。

「――大変っ!!」

その恐ろしい光景を瞳に映したトミーは、反射的に腰の剣を抜いて駆け出した。
「やや!?」「は?」「トミーさん!?」
「馬鹿、止まれ!!!」
仲間たちが驚きの声を上げた時には、すでにトミーは引き止められる距離を大きく越えていた。
スイッチ入っちゃったーーとか今までの話聞いてなかったのかーーとか、さすがに仲間達の胸中に凄まじい呆れが溢れるが、彼女の性質をよく理解している面々は文句を言うより先に飛び出した。
「わぁ~アフターケアは僕に任せて、ドカンと雷よろしくね~ダン☆」
「いいから、さっさとアイツを止めろ!」

「ちょちょちょちょっと待ちなさいよあんた達ぃぃぃっ!!!!」

――と、駆け出してすぐにリオの悲鳴まじりの罵声が三人の背中を叩いた。

肩越しに振り返ると、まだ元の場所から動いていないリオが見える。
パリスとロエが眉を寄せる横で、ダンだけは即座に足を止めて駆け戻った。

「――クッソ、こんな時にあのネコ……っ!」

慌てて二人も立ち止まり、体を反転させる。
ギャーギャーわめくリオの足元で地面がざわつき、雪の下にあった石が浮き上がった。

「ぎゃーーーーー!!?」

それらの石がまるで吸い寄せられるように一斉にリオに襲い掛かる。
あれは黒魔法のストーン。
よく見ると、彼女から少し離れた地面からミミズが姿を現し、チカチカと細かい光を零しながら魔法を構成していた。

リオはあのミミズにバインドをかけられたのだ。

「ダン!」

大分小さくなっていくトミーの背を一度見てから、パリスが短く指示を仰ぐ。

「二人はあの馬鹿を追ってくれ!ネコのバインドが剥がれたら塔に向かう!」

ダンは振り返らずに叫び返した。

「OK、ボス」

パリスはすぐにトミーの後を追って走り出す――が、隣にいたロエは逆方向へ駆けた。

「ダンさん、巨人が……!」

ロエは小さな足で戻りながら必死に叫ぶ。
ミミズを両断し終えたダンは、リオの大騒ぎに釣られた巨人が凶暴な声を上げて迫ってくるのを見据えた。
動けないリオは、自分を睨みながら猛然と向かってくる巨人に叫びっぱなしである。
ダンは即座に巨人を挑発して敵意を自分へ向ける。

リオにバインドをかけたミミズは倒したが、その効果は死後もしばらく残る。
リオは解除まで動けない。
その間、ダンが護衛につくことになるが――ミミズも巨人も、ついでにウェポンも、ダンの敵ではない。
心配はいらない。

……そうと分かっているはずなのに。
なぜロエはダンの指示に背いたのか?

疑問を抱えつつも、パリスは反射的に「暴走した女戦士」を追いかけて、デルクフの塔へ向かって雪を蹴った。



   *   *   *



デルクフの塔入り口付近には、三組の冒険者が陣を張って修行中だった。
巨人を釣って戦うパーティもあれば、空気の抜けたオレンジのボールのような蛭のモンスターに挑むパーティもいる。

そんな賑わいの中へ、トミーはウェポンに追われたタルタルを追って飛び込んだ。
タルタル本人が散々叫んだので、周囲はすぐにウェポンが来たと気付き騒然となる。

巨人と戦闘中のパーティの魔道士は、焦った顔でウェポンを指差しながら仲間に警告を飛ばしていた。

しかも、ただウェポンに絡まれたのではない。
巨人を釣って戻る途中の者が絡まれたのだ。
当然、釣られた巨人も怒り狂ってタルタルを追ってくる。

その状況を見て戦闘を中断し、塔の中に素早く避難するパーティもいた。
絡まれたタルタルの仲間と思われる冒険者達も青い顔をして退避の態勢を取る。
戦う気はさらさら無いようだ。
皆自分達では太刀打ちできないと知っているのだろう。
しかし自分達が真っ先に逃げるわけにはいかないので、『トレインです』という警告の声を喉を枯らして叫んでいた。
「トレイン」というのは、敵を連れて逃げてくることを意味する。
絡まれた者が無事に敵を撒いたとしても、次はその場にいた別の人間にその敵が絡む恐れがある。
よって敵を連れてきてしまった者は他の冒険者達に警戒を呼びかける義務があり、それが最低限の礼儀だ。

その叫びが飛び交う混乱の中、トミーはついにタルタルを追っていた魔物へ追いついた。

「このぉ…っ!」

後ろ姿は“八十センチくらいの大きなぼた餅に細い手足がついている”としか思えない。
その細い腕でタルタルを何度も引っ掻いていたウェポンに、トミーは背後から突進して剣を振りかぶった。

――必ず命中させる!

そう思った瞬間、ウェポンが急停止し、弾むように振り返った。

「ぅあ!?」

振り返った顔のあまりのグロさに気を取られ、トミーは止まることも避けることもできず、そのままウェポンに躓いた。
ぐむっと嫌な感触が足に絡み、雪の地面を転がる。

ばっくりと裂けた大口にびっしり並んだ牙にブーツがぶつかり、ぞっと肌が粟立つ。
トミーは悲鳴にならない情けない声を漏らしながら、慌てて身を起こした。

へっぽこ戦士からの偶然の蹴りを食らったウェポンは、ギャッギャッと牙を剥き、両手を振り上げて威嚇していた。
その頭上では、細く小さな杖のような部品が狂ったようにびゅんびゅんと回転している。
噂で聞いていた以上の不気味さに、トミーは泣きそうになりながらも、必死に立ち上がって剣を構えた。

「駄目!無理だから逃げて!!」

他パーティの魔道士が、仲間たちとデルクフへ逃げ込みながら叫ぶ。
タルタルが釣ってきた巨人は、その仲間が挑発してなんとか気を引きつけ、時間稼ぎに入っていた。

「あなたが逃げなきゃ私達も避難できないわ!!早く走って!!!」

最初に絡まれたタルタルの仲間と思しきタルタルの女魔道士が、少し怒った声でトミーに命じる。

「え?あ…」

皆で力を合わせて倒す流れになるかと思っていたトミーは、周囲が素早く避難態勢に移り、自分に「逃げろ」と声を飛ばしてくることに混乱した。
今にも飛びかかってきそうなウェポンから目を離せず、おどおどと息を呑む。

「早く!!走って!!!」

「わ、わ、スミマセン!!」

いい加減怒鳴り声に変わった声にビクリと背筋を伸ばし、トミーは剣を握ったままウェポンに背を向けた。
デルクフの塔の入口へ駆け込むトミーの背後で、逃がすかと言わんばかりにウェポンが凶暴な細い腕を大きく振りかぶる。
しかし、その動きを止めたのは別の気配だった。ウェポンはくるりと向きを変える。

向いた先には、困り笑いを張り付けた長身のエルヴァーン。

「ハイハイハイハイ、この人は僕が引き受けまーーすよーーー」

パリスの、どこか力の抜けた声。その声を聞いていた冒険者たちは、思わず足を止めた。
彼の装備を見て、その実力を察した者たちの顔に安堵が広がる。
ウェポンを任せられる者が登場したことによって、他の冒険者達は釣られてきた巨人を討つべく武器を構えた。

依然としてトミーを追いたいのか、ウェポンが思い出したように塔へ向かおうとした瞬間──キラキラと細かな光がその体を包んだ。
パリスの素早い詠唱による麻痺の魔法、パライズだ。
体が思うように動かなくなり、ウェポンは奇声を上げてじたばたする。
パリスは『よいしょ』と呟きながら、腰の細身の剣をすらりと抜いた。

「彼女を早く追い駆けたいのは、僕もお~な~じっ♪」

引きつった笑みを浮かべつつも、その瞳には焦りが宿っている。
騒然とした中、パリスはちらりとデルクフの塔を見上げた。



   *   *   *



トミーの頭の中はパニックだった。
モンスターに絡まれたタルタルを助けようとしただけなのに、物凄い勢いで怒られた。
皆が逃げてくれれば自分も逃げるのに、「逃げられない」と。

生のウェポンは聞いていた以上に不気味な姿であったし、もう何が何だかさっぱり分からない。
塔に入ったトミーは、ウェポンよりも、あのタルタル女魔道士の怒声に怯えて必死に走った。

塔内は薄暗い広い通路が続き、大きな迷路のようだった。
十字路に突き当たり、反射的に右へ曲がる。

普通、魔物は自分たちの縄張りからは大きく外れない。
ロンフォールのオークが町中まで追ってくることも、ジャグナーの虎がラテーヌまで走ってくることも、まず有り得ない。
ウェポンも同じで、クフィムではどこまでも追ってくるが、デルクフの塔までは入ってこない。

──その事実に気付いたのは、二つ目の分かれ道で立ち止まった瞬間だった。

「……はれっ!?」

共に塔へ逃げ込んだはずの冒険者の姿がない。
トミーはキョロキョロと周囲を見回す。

他の冒険者たちはウェポンが塔内に入ってこないことを知っていたうえに、パリスの到着を見てすぐに塔の外へ戻っていたのだ。
全力で逃げ続けていたのは、トミーひとりだけ。

引き返そうと来た道を振り返る──が、本当にこの方向から来たのか自信がない。
分かれ道の真ん中でキョロキョロしたのが悪かったのだろうか。

いや、単にトミーが天才的な方向音痴なだけである。

「わ……わぁぁぁ~どうしよう、またやっちゃった!?」

“おい馬鹿はどうした、とっ捕まえたか?”

――ちょうど今、脳裏をよぎった男の声がリンクパールから聞こえた。
“隊長、デルクフの中に一足先に行っちゃいました。僕ぁ今から追って入りまっす”
ビクついた声でパリスが答えるのも聞こえる。
リンクパールを持っていると気づいて、トミーは胸をなでおろした。

“ごご、ごめんなさい!戻ります!”

“絶・対・に・そ・こ・を・動くんじゃねぇ、一歩もだ!!”

怒りを隠そうともしないダンの声が、トミーの頭にガンガン響いた。

「ひゃぁぁ~怖い!まずい!どうしよう…っ」

泣きそうな声でその場にしゃがみ込むと、救いにしては非常に頼りない声が遠くから聞こえた。

「トミーちゃんや~~~~い」

「あ!」

ガバッと顔を上げる。
自分が走ってきた方向を振り返ると、角の向こうから見慣れた長身のエルヴァーンが駆けてきた。

「パ……ッ!」
「ん、あぁぁ良かったすぐ見つかって!帰りま~すよ~!」

心底ほっとした声で言いながら手を振るパリス。リンクシェルの方に“隊長!発見しました!”と報告する。

ジャグナーでの苦い経験がまだ生々しいトミーは、まっすぐ彼へ駆け寄った。
パリスは走って来るトミーに安堵の笑みを向け、ため息をつく。

“良かった……怪我はありませんか?”
“ううう、スミマセン。大丈夫です……”
“そっちはどうなの?大丈夫かい?”
“あぁ、今、効果切れ待ちだ”
“了解~。塔の下で待機しますよ~”
通信しながら、パリスはトミーが完全にそばまで戻る前に帰り道へ向き直った。


この時、パリスは油断せずにトミーを最後まで見守るべきだった。


トミーはパリスへ走る途中、脇道の前を通った瞬間、ギョッと目を見開いた。
そのまま速度を一気に上げ、叫びながらパリスの背中を突き飛ばす。

「パリスさん危ない!!!」

「ぇ
を!!!!?」

虚を突かれたパリスは背中からくの字に折れ、前方に吹っ飛んだ。
どたーん、と無様に転ぶエルヴァーン。

何事かと目を白黒させて後ろを見ると、不安定な姿勢のまま盾を構え、自分に背を向けて立つトミーの姿。
彼女が悲鳴じみた声を上げながら防御態勢を取っている先からは、砕けた岩が飛んできていた。
岩そのものは直撃しなかったが、壁にぶつかって砕け散った破片と衝撃で、トミーの体は通路の端まで吹き飛んだ。

「キャーーーーーーー!!?」

この悲鳴はトミーではなくパリスのもの。
床に背中を打ちつけ、破片とともに転がるトミーを見た叫びである。

どうやら脇道のすぐ近くに巨人が移動してきていたらしい。
トミーが脇道を横切った瞬間、巨人はその姿を捉え、床の岩をえぐって投げつけてきたのだ。

仰天したパリスの悲鳴はリンクシェルの方にも入り込んだのか、ダンとロエが不思議がる声が聞こえる。

「ちょっと待ってよトミーちゃんんんんん!!」

倒れたまま動かないトミーに、パリスが半ば非難するように叫ぶ。

塔内に地響きが轟き、巨人がトミーへ突進してくる。
パリスは苦笑しながら剣を抜き、駆け出した。

「僕なんか庇ってくれなくても良かったのにぃぃ!」

そんなことを叫びながら巨人の前に飛び出し、緑色の短い足に斬撃を叩き込む。
驚いた巨人がビリビリと体に響く雄叫びを上げながらパリスを跳ね除けようと腕を払う。
ごうっと空を切る音を立てた巨人の手を、とーんと地面を蹴って軽く避けたパリスはトミーから巨人を引き離すために大きく距離を取った。
狙い通り、トミーからパリスに標的を替えた巨人はこちらを追って足を進める。
この巨人は外にいた巨人とは少々違う者達で、塔の中をテリトリーとしている連中だ。
酷い形相で敵意を剥き出しにしている巨人を見上げて、パリスの頬を一筋の汗が撫でる。

「その子を傷付けると、君なんかよりずっとずっと怖い人が襲ってくるんだぞぅ!」
文句を垂れるが巨人は聞いちゃいない。

太くて血管の浮き出た豪腕を振りかぶりパリスに襲い掛かった!
パリスは身を低くしてその腕を避けると、ぴゅんっと剣を翻して巨人の手首を滑らせる。
切れ味の良いパリスの剣が撫でた後を追うように巨人の血が噴き出す。
巨人がもう片方の腕で斬られた手首を押さえ絶叫する。
そして斬られた方の手をだらりと下ろし、白目しかないその鋭い目を血走らせてパリス目掛けて拳を振り下ろした。
しかし、その拳は感情の乱れにより少々パリスから反れて床の岩を粉々に砕いた。
細かな破片が飛び散る中、パリスはその打ち下ろされた拳を踏み台にして巨人の腕を駆け上がる。
巨人は止血しようと胴に押し付けていた方の腕で慌てて彼を振り払おうとした。
切り口からたくさんの血が流れている腕を振るうと、その血がパリスを赤くまだらに濡らした。
バランスが良くないと判断したパリスは一旦腕の上から飛び退いて、巨人の背後に降りる。
そして巨人が振り返ったところで気を練り上げて剣に宿し、ぼうっと炎を纏わせたその剣で巨人の巨体を斜めに切り裂いた。

巨人は切り口に炎が噛み付いた状態で、悲鳴を上げることも無く、ゆっくりと倒れ込む。
パリスの用いたその技は、剣の技レッドロータスだ。

巨人がぐったりと倒れて動かなくなったのを見届けて、仕留めたことを確認した。
『ふー』と息を吐き出して、パリスは顔についた巨人の血をゴシゴシと袖で拭く。
その袖にも血がついていたらしく、益々顔が汚れたことに気がつきパリスは苦笑した。

“パールッシュドさん?トミーさん?”

ふと、リンクシェルで先程から何度も呼びかけられていることを思い出した。

「っとと、そうだトミーちゃん……っ」

“いやゴメン、こっちのことです~アハハ”

動揺して誤魔化しにもなっていない返答を返しながら剣を腰に収め、慌ててトミーの元に向かう。
彼女はまだ砕けた岩の破片と共に転がっていた。
見たところ大きな外傷はないようだが、脳震盪だろうか。

………このことは黙っててもらおうかな……。

ダラダラと冷や汗をかきながらパリスはそんなことを必死に考える。
逸る気持ちを押さえつつ、トミーの意識を呼び戻すために軽く肩を揺すってみようと、パリスはトミーの周りの破片を足で退けてから彼女の傍に屈んだ。


極自然に瞬きをした。
その目を閉じて開くほんの一瞬の間に。

目の前に大きな黒い刃が現れた。


目の前、というよりは、首に突きつけられている。
金縛りに遭ったかのように身動きができなくなったパリス。
一瞬仲間の男の顔を連想するが、自分の背後に、体が押し潰されてしまいそうな程の重圧と殺気を感じた。

何が起きているのか理解できず、口の中がカラカラに干上がる。



そして、背後の殺気が低く言った。




「……………貴様……何者だ」



“オイ、ちゃんと答えろ!何があった?”

リンクシェルから仲間の声が聞こえる——
だが、とても返事どころではなかった。



<To be continued>

あとがき

キターーーーーーーーな第四話です。(何)
毎度のことですが、もうヴァナ知識おぼろげのくせに好き勝手書いています。^^;
って言いますか、長すぎでしょ第四話。ナメてんのか。
えーとにかく、ついに皆様お待ちかねの方が登場となりました。
やっとこれから、第三章のストーリーは動き出すのです。