すれ違う影
2026/04/03公開
テレポホラに降り立った瞬間、視界が白く弾けた。
眩しさに目を細めながら周囲を見渡し、無事にホラへ飛べたことを確認する。
一瞬だけ、リオが石を持っているのか不安がよぎったが――
彼女はちゃんと所持していた。
「急ごうリオさ……」
言いながら足を踏み出し、パリスは言葉を切って固まった。
降りようとした階段の下に――
ジェラルディンがいた。
「――っ!!」
声になっていない悲鳴を上げて目を見張る。
冒険の気配を纏ったその男は、表情を変えなかった。
ただ、眉をぴくりと動かしたのみ。
彼は無言のまま踵を返すと、出張チョコボ厩舎へと駆け出す。
目を瞬いているモニカに目もくれず、一羽のチョコボに無断で飛び乗った。
「――へ? 何なの?」
驚いて声を上げるモニカ。
ジェラルディンは腰の剣を素早く引き抜き、一閃。
チョコボの綱が次々と断ち切られる。
羽根を掠める剣に驚き、チョコボ達が声を上げて逃げ散った。
「ウソでしょ~!?」
瞬く間に混沌と化す地上で、モニカの絶叫が響き渡った。
「……僕の知ってる騎士さん達は、ちゃんと紳士だよ?」
一連の光景を眺め、喉が渇いたような声でパリスが零す。
「――あんのイカレ騎士!!」
全身の毛を逆立て、リオが歯噛みする。
走り去っていくジェラルディンを、鋭く睨み付けた。
パリスは階段を駆け下りる。
モニカは手当たり次第にチョコボの手綱を掴み、あちこちに引っ張られていた。
苦笑いを浮かべ、パリスがその手助けに入る。
「あ~っ! パリス~!」
「はーいどーもどーも」
彼女に対して声だけを返し、手早くチョコボを捕まえに走るパリス。
赤い制式服の装飾が軽く鳴る。
「何よぉ、めかしこんじゃって~!」
状況とまったく関係ないことを呑気に騒いでいるモニカ。
パリスはこれまで一度だって、王国騎士の装いなんてしたことはない。
騎士を目指す課程に踏み込んだことすらない。
だから今の装いに周りがいちいち騒ぐのも当然と、重々理解している。
騎士に紛れ、王都を混乱に陥れる狼煙に火をつけることになるとは――。
それも、『ヘラヘラしなければ誰も気付きはしない』という、あまりにも雑な指令のもとで。
全力で“険しい顔つき”をするなんてことは、後にも先にも、今日が最後だろう。
色々振り返って苦笑いが浮かぶ。
しかし今は、そんなことすらどうでもよくなるほど、不穏な胸騒ぎが広がっていた。
リオも軽い身のこなしで階段から飛び降り、逃げ場を求めているチョコボの前で両手を広げる。
「暴れるんじゃないわよ! 止まんなさい!」
興奮の火に興奮の油を注ぐような、彼女らしい怒号。
すると――モニカの目がギラリと光り、リオを射抜く。
その短い間に、彼女の中で何かが閃いた。
女の本能が告げるままに、モニカは口を開いた。
「ねぇそれ、パリスの新しい彼女~!?」
* * *
ロンフォールの森のひんやりとした空気が、赤髪を荒々しく撫でていく。
チョコボの手綱を掴みながら、テュークロッスは無言で前を見据えた。
爆破予告犯と思われた輩は、人騒がせな若者の戯れだったと報告があった。
だが、野良犬と無関係だとは言い切れない。
ならば、拘束しておくべきだった。
しかし、現場対応したのは神殿騎士団の末端。
操作する時間も、今はない。
状況は――迅速な判断と行動が求められている。
『猊下に呼ばれている』
式典警護にあたる部下へ告げ、現場を離れた。
誰もが頷き、誰もが事情を問わなかった。
その沈黙に信頼と畏怖が等しく混じっていることを、知っている。
手綱を固定する金具が軋む音が風に混じる。
チョコボの吐く白い息が森の暗がりに溶け、遠くで獣の鳴く声が響いた。
“ジェラルディン、状況を報告しろ”
リンクシェルを通し、重く冷たい声で問う。
すると同じ温度で声が答える。
“現在ラテーヌのホラにて、夜鶴の弟とミスラを確認しました。野良犬と娘は不明です”
部下の報告に奥歯を噛み締める。
ほんのわずかに唇が動いたが、言葉にはならなかった。
もし、先刻の部下の報告が事実なら――
事態は深刻だ。
何としても断ち切らなければならない。
かくなる上は、部下のみに任せておくことは出来ない。
本当にあの二人なのか――確認する必要がある。
二人の姿を知る者は、今や自分とジェラルディンのみ。
そして、冒険者から宣告された情報が事実だとすれば、
その場には――《夜鶴》までいる。
――いいだろう。
我が手で断つ。
呪わしき悪夢のすべてを、闇に葬る時が来た。
決意が研ぎ澄まされる。
森の冷気さえ、もはや何も感じない。
その裏で、もう一つの影が静かに動き出していた。
命を受けて放たれたその影が、いずれ何をもたらすのか――
今はまだ誰も知らない。
血統の良い騎士団長専用のチョコボは、風のように森を横切る。
大きな足が湿った地を蹴るたびに、黒い泥が跳ね上がり、冷気の中で白く煙った。
冒険者のチョコボを影のまま追い抜き、静寂に沈む森の暗がりへと消えた……。
* * *
湿った風が頬を打つ。
森の入口が見えてくると、チョコボの足取りがわずかに鈍った。
がらりと空気の変わる木々の隙間からは霧が滲み、視界を灰色に塗りつぶしていく。
ノルヴェルトは手綱を握りしめ、後ろに乗るトミーへ視線を落とした。
躊躇いの呼吸を置いてから、静かに声を紡ぐ。
「……大丈夫ですか?」
ぎゅっと抱きついたままのトミー。
ぴくりとして、ノルヴェルトの背中に埋めていた顔をゆっくりと上げる。
「……はい」
弱く、でも気丈な微笑み。
ノルヴェルトの胸がぎゅっと苦しくなった。
しかし、今、彼女に掛ける言葉が出てこない。
喉が詰まる。
ノルヴェルトは俯き、彼女から視線を逸らした。
チョコボがひと鳴きして、再び駆け出そうとしたその瞬間――
背後から声が届く。
「おい、一旦待て!」
ノルヴェルトが振り返る。
風を切って、チョコボが一騎、迫る。
その背には、両手剣を携えたヒュームの戦士。
ノルヴェルトにしがみつく腕の力をぎゅっと強め、トミーが彼の名を呟く。
「ダン」
ノルヴェルトは、これまで彼女がその名を口にするのを、何度も耳にしてきた。
今の彼女のそれは、
これまでで最も、心が溶け出すようだった。
丁度その時、リンクシェルを通してパリスの声が響く。
“――ダン! あのメチャクチャな騎士様がチョコボでそっちに向かったよ!”
その報告を聞きつつ、ダンはひとつ息をつきながらノルヴェルトの横に並ぶ。
「そういうわけだから、手短にな」
鋭い目付きでジャグナー森林を見据えながらダンが告げる。
「もう、彼らはジャグナーに入ってる。貨物の荷車を装って、目立たないように森の端を進んでるはずだ」
ノルヴェルトの心臓が震える。
ダンはホラの方向を一瞥し、ノルヴェルトを見る。
「先に見つけるぞ」
早口で言い放ち、ダンはチョコボを駆け出させた。
口を引き結んだノルヴェルトも後に続く。
トミーはただじっとダンのことを見つめるだけで、何も言うことができないままだった。
すると、今度はロエの声がリンクシェルから響いた。
“ダンさん! や、やっぱり私もそちらに合流しますか……?”
苦しさを押し込めたような声で指示を仰ぐ。
“いや、ロエさんはそっちを頼みます”
ダンは即座に返し、ぼそりと付け加える。
“……俺のためにも”
“――え?”
聞き返すロエの声を掻き消すように、ダンが間を置かずに声を張った。
“団長様が直々にこっちに向かってる! ジェラルディンも、ウォーカーも、どこから現れるか分からねぇ! みんな気を付けろ!”
各地の仲間たちが返事を返すと、ダンのチョコボが静寂の森の中へと突入していく。
鎧の微かな音と共にチョコボの足が土を蹴る。
ノルヴェルトもチョコボを走らせる。
黙って彼の背を見つめ、手綱を握り直した。
トミーは口を引き結び、安堵を求めるように鎧の体に額を寄せた。
祈りたいことがたくさんあって、苦しげに目をつぶる。
森の奥から吹く風が、運命の歯車を軋ませていた。
* * *
ジュノ公国――レンタルハウス前。
ローディは通路の床に倒れていた。
まるで糸が切れたマリオネットのように、無造作な体勢で。
普段彼が愛用している白魔道士装備とは対照的な、漆黒のコート姿。
金のラインが走るその術者のような重厚な装いのせいで、まるで不気味な人形のよう。
真昼間の時間であるにも関わらず、不思議と誰も通りかからない。
……カチャ……。
静かな音がして、近くのレンタルハウスのドアがそっと開かれる。
……カチャ……。
ほんのわずかな差で、逆方向の別のドアも静かに開いた。
それぞれの部屋から、ヒュームの男性が顔を覗かせる。
彼らは通路で事切れているローディの様子を窺うと、互いに視線を合わせる。
そして目線で意思を確認し合い、同時にレンタルハウスからぬるっと出てきた。
まず、茶髪の若い方が恐る恐る声を掛ける。
「……総帥?」
するとローディは即座に反応した。
開眼してばたりと仰向けになる。
そこで、今度は髭面の方が問い掛ける。
「時短睡眠ですか?」
ローディは瞬きを繰り返し、大の字で通路の天井を見つめたまま答える。
「うんにゃ、今のはマジの失神だぞぃ。略して『マ神』!」
むくりと上体を起こした。
まるで新たな発見でもしたかのように、目を爛々とさせる。
「俺様のミラクル頭脳がバグった。黄泉の世界と遭遇マジカル」
ブルブルと身震いしながら意味不明なことを説く。
しかし、それを聞いて二人の部下達は息を呑む。
「……なんと……」
顎髭を擦りながら呟く男性を横目に、若い男性はごくりと喉を鳴らす。
「そんなに面白いことが……?」
「黒ーディでどちらに行かれるのですか?」
思わず身を乗り出す二人。
見開かれた瞳に尊敬と羨望が入り交じる。
『仲間に入れてください』と物語る顔を揃えた彼らに、ローディはすかさず言った。
「みんなはハウスッ!」
裾を払って立ち上がると、ピシッと指を立てて宣言する。
「これは俺様だけの激レア☆イベントだから、一緒には遊べにゃ~い」
「総帥ぃ……」
子犬のようにすがる眼差しをじっと向ける二人。
しかし、ローディは『ハウス!』を連呼。
問答無用、二人をレンタルハウスに追い払った。
そして、金髪を掻き上げて悩ましげな吐息を漏らす。
「暇なんだったら、じぇらすぃーのブチ殺し方でも調べといてちょ」
まったく意味不明だが、二人の部下達は考える顔をした後、にやりとする。
深すぎる哲学的な言葉に感銘を受けた目。
返事を返し、静かにドアを閉めた。
ローディは、コートの立ち襟を軽く払った。
そして転移魔法の詠唱を開始する。
呪文の旋律をなぞりつつ、瞬きを繰り返す。
じろじろと周囲を見回し――
何となく小首を傾げた。
ぐいっと、目元を腕で擦る。
宝石のような青い瞳が、また落ち着きなく動く。
「な~んか……イヤ~な感じする……」
魔法の光に包まれながら、そんなローディの呟きが零れ落ちた。
光が弾け、姿が掻き消える。
その余韻を裂くように、遠い海鳴りが響いた。
――その頃、ジュノ港。
着水した飛行艇が、霧の中で静かに揺れている。
ゆっくりと乗り場に吸い寄せられ、扉が開く。
そして、到着した飛行艇から、ひとりの男が無言で降り立った。
* * *
いい大人になって、こんなにもお叱りを受けたのは今日が初めてだった。
そもそも、子ども時代ですら問題行動とは無縁だったロエは、叱られた経験自体があまりない。
警護の騎士に囲まれたロエ達は、その後石畳の上に正座したくなるほどにこっぴどく怒られた。
アズマなんて、途中から本当に正座していた。
まさしく《厳重注意》というやつだ。
何も装備を身につけていない、裸同然のガルカ。
それでも――彼だけは、まったく悪びれた様子もなく、堂々と仁王立ちしていた。
ゴンベ、正しくは『バテシバ』という名前らしい。
アズマは彼を横目に睨み、ずっと口の中で悪態を噛み砕いていた。
ようやく解放された彼らは、ふらりとした足取りでサンドリアの通りを歩いていた。
「あっ、お疲れっす~!」
そんな声と共に、賑わいの中からチョモが駆け寄ってきた。
はっと顔を上げたロエは、数刻前のことを思い出す。
お叱りの言葉を浴びている最中聞こえた、チョモからの報告。
赤髪の騎士団長が城を出たと――。
そして、その後に聞こえた。
ダンがトミーに向けて放った、あの声。
「――こぉんのくそチビがぁぁあ!!」
頭に青筋を立てたアズマが、地獄の底から響くような声を発した。
タルタル魔道士の首根っこをむんずと掴み上げる。
「オメェは全部知ってたのか?!」
「うげだだだ! なんすか、自業自得っすよ!!」
バタバタと暴れながらも短い手足で反撃しようとしているチョモ。
往来の人がそんな二人に視線を向け、道の真ん中で何をやっているのかと苦笑いして避けていく。
するとその瞬間、ロエの持つリンクシェルからパリスの声が響いた。
“――ダン! あのムチャクチャな騎士様がチョコボでそっちに向かったよ!”
掴み合いを始めた二人を前に、ロエは息を詰まらせて凍り付く。
あの騎士の姿が鮮明に蘇り、小さな肩が震えた。
堪らずリンクシェルに意識を馳せる。
“ダンさん! や、やっぱり私もそちらに合流しますか……?”
苦しさを押し込めたような声で指示を仰ぐ。
“いや、ロエさんはそっちを頼みます”
即座にダンの声が返ってきて、ぼそりと付け加えられる。
“……俺のためにも”
“――え?”
一瞬、胸の奥がぎゅっと縮まった。
聞き返すロエの声を掻き消すように、ダンが間を置かずに声を張った。
“団長様が直々にこっちに向かってる! ジェラルディンも、ウォーカーも、どこから現れるか分からねぇ! みんな気を付けろ!”
“は…はいっ”
返事をしたものの、胸の前で握り締めた両手が汗ばみ、震えた。
大通りの賑わいが遠く感じるほど胸の鼓動がうるさく響く。
「まったくあの野郎は、何をやらかそうとしてやがるんでぇ」
向かってくるチョモの頭を押さえ付けながらアズマがぼやいた。
歯を食いしばってチョモが言葉を絞り出す。
「もうアズマさんは用無しなんで! 帰っていいっすよ!!」
そこで、アズマが防具を装備していないことを思い出し、チョモはゲンコツでアズマの脛を殴った。
大きく口を開けてうずくまるハゲ。
「ボクとロエさんはまだ頼まれてることがあるんで! さよなら!!」
アズマに吐き捨てるように言って、チョモはロエを振り返った。
しかし、深刻な表情で固まっていることに気付く。
チョモは目を瞬き、乱れたローブを直しながら言った。
「ダ、ダンさんに、『弟も呼べ』って言われたんすけど……まだ来ませんね。い……いないとヤバいっす…よね?」
『デルクフ前の礼がまだだ。サンドリアに来いと伝えろ』
その眼差しだけで焼き殺されそうなほど鋭く、ダンはそう言った。
思い出し、チョモはぶるりと身震いした。
「なんでぇ、まだ何かあんのか!? って言うかゴンベ! オメェも……」
脛を抱き込んで屈んだまま、アズマは振り返る。
「――って、いねぇぇぇし!!!」
忽然とガルカの姿は消えていた。
キッと前方に視線を戻す。
タルタルの二人は、アズマなど意に介さず、張り詰めた空気の中で言葉を交わしていた。
「お、お願いします! 弟さんも呼んでください」
心細い眉をしたロエがチョモに対して懸命に懇願した。
アズマの視線が、ダンの近くで見掛けていたタルタル族の女魔道士へ向かう。
今は冒険に出る時のようなローブ姿ではなく、彼女も普段着だった。
リュックの中に隠れるためだろう、杖も持っていない。
アズマは、彼女を見れば見るほど疑問が湧き出た。
騎士から大目玉を食らったとき、彼女が最前に立って謝罪していた。
誠心誠意、小さな背中で頭を垂れて。
あの程度の処遇で済んだのは、彼女のおかげだとすら感じている。
そして今度は、彼女が取るに足らないくそチビ相手に頭を下げている。
しかも、どこか不安げな顔で。
なんでだ。
こんな真面目そうな彼女が、どうしてあの極悪ペテン師野郎の仲間なんだ。
「えと……了解っす! じゃあ、弟連れてすぐ戻りますね!」
チョモの言葉を聞いて、ロエの横顔に安堵が広がる。
すぐに表情を引き締め、ロエはぐっと手を握り締めると言った。
「私も着替えて、すぐ向かいます」
彼女の青い髪を揺らし、風が吹き抜ける。
「北サンドリアの閲兵場へ」
頷きを交わし、タルタル族の二人は別々の方向に駆け出した。
通りを行き交う人の賑わいがどこか冷たく、遠い。
その場にぽつんと、膝を着いたハゲ侍一人が残された。
風が通り過ぎる。
「……俺はぁぁぁ!!?」
行き場のない咆哮だけが、そこに残った。
あとがき
第三十三話『すれ違う影』でした。みんなが“ダン”と呼ぶ声の真ん中で、
彼が何を決断しているのか。
それを知っているのは、今のところローディだけです。
彼はなぜ、他の仲間達には知らせていないのか。
このすれ違いが何を招くのか。
影は、まだ静かに伸び続けています。