すべてを、今

第三章 第三十二話
2026/03/06公開



"たしかに、冒険者は若輩ばかりではない。戦争を知っている世代も大勢いるであろうな"

ジェラルディンからの報告を聞き、言葉を返す赤髪の騎士団長の声。
そこに焦りはなく、ただ静かに、事実を受け入れた声だった。

騒々しい城の中を一直線に横切りながら、ジェラルディンも魔法の真珠に意識を馳せる。

"もし……集まった冒険者の中に、野良犬の戦士団に救われた経緯のある者がいた場合……"

"二人が並び立つことは、記憶を呼び覚ます"

そう補足するテュークロッスの言葉がリンクシェル越しに重く響く。
苛立ちが滲み、ジェラルディンは無意識に眉間に力を込めた。


城の中は遠征先から急ぎ戻った騎士達と、『成人の儀』リハーサルに呼ばれた若き騎士達が、入り乱れて行き交っていた。

騎士が行き交う廊下を進むジェラルディンは、威厳ある騎士の装い。
塵一つついていない鋼が歩調に合わせて煌めく。

同様に装いを改めたウォーカーが、駆け足で後ろに追いつく。


野良犬の連行に協力させた騎士達は、胸に誉れを持たせて各地に散らした。
奴らは――それを呼び集めるというのか。

リージョンがバストゥーク共和国一色になった今、各地のガード達が王国に帰還しようとしている。
この混乱の中、動かれては阻止も困難だ。


――不意に、向かう先の回廊で意図的に顔を伏せる動きをジェラルディンの目が感知する。
こちらに悟られたくないと願う者の立ち振る舞いを、ベテラン騎士は容易くあぶり出す。

真っ直ぐに注視する――
昨日見た若者騎士二人が肩を並べていた。
目の前に立ってやると、彼らは逃れられぬと判断した様子で目も開けられぬまま挨拶を叫ぶ。

直立不動の彼らをひと睨みし、無言の内に歩みを再開する。

彼らは、『貴冑騎士団の忠臣も確かに城内にいた』という事実の証人だ。
あのような若造でも役に立つものなのだなと、冷え切った思考で吐き捨てる。
これで混沌のドラギーユ城に戻った目的の一つは果たされた。


暴露演説――などと言っていた。
仮に提言したとしても、比較が団長と冒険者であれば、騎士たるもの、間違いなく団長のことを信じるだろう。

しかし――
《夜鶴》が出てくるとなると……危険だ。


ジェラルディンとウォーカーの主は、広間にいた。
リンクシェルでこちらと議論を交わしていた主は、何人もの騎士の眼差しを集め、指示を飛ばしていた。
『成人の儀』の警護とはまったく次元の違う知略を働かせているとは、微塵も感じさせずに。

傍らには神殿騎士団の姿もある。
現在、城の外では神殿騎士団が騒動に対処しており、城内催事の警備を取り仕切る貴冑騎士団は、連携を求められていた。

礼をして離れる騎士達が、主の前から散っていく。

直後、主の声が届いた。

"……もとより"

城内を見渡すテュークロッスの眼差しが、氷のように冷える。


"すべて断ち切れ"


ジェラルディンとウォーカーは、離れた位置でその命を受け止めた。
静かな炎が点る。
視線だけが交わされ、二つの影が互いに確認し合うように歩き出す。

そしてすぐに、赤髪の騎士団長は影の一人の名を呼んだ。
リンクシェルを通して主の声が混沌よりも内側で落ちる。
『承知』の意を伝える返事を聞いたところで、テュークロッスは顔を上げた。


城外で神殿騎士団がずいぶん手間取っているようだ。
おかげで面倒な両騎士団連携が解除されず、がんじがらめだ。

だが――テュークロッスは、まるで騒乱そのものを手綱で操るかのように指示を飛ばした。

騎士達はその声に導かれるまま持ち場に就き、乱れた隊列は瞬く間に整えられた。
混乱の只中に身を置く貴冑騎士団に、役割を見失っている者は一人もいない。

書記官や祭司といった城の者達も、赤髪の騎士団長に促されるまま的確に事を進め、『成人の儀』リハーサルは定刻通り執り行われる見込みとなっている。
まさか、この混乱の中で……城中の者達は揃って舌を巻いていた。

そんな城内の者達が知り得ぬ、さらなる驚嘆すべき事実。

それはすなわち――
そんな赤髪の騎士団長の燃える知略は、遠い地に馳せられているということだった。


甲冑の擦れる音を立てて、一人の騎士が駆け寄ってくる。
城外の騒動の顛末を知らされた。

その言葉に、赤髪の奥で彼のまぶたがわずかに動く。

「そうか」

ただそれだけを呟き、氷の瞳は次に向かうべき場所を理解していた。



   *   *   *



テレポホラに転移すると、ダンは直ちに出張チョコボ厩舎に向かった。
そこにはノルヴェルトとトミーの姿はなく、退屈そうに座って爪を眺めているモニカが一人。

確認すると、彼女は数分前に現れた二人にチョコボを貸したと答えた。
二人は北に向かって去っていったと。

ダンは安堵の息をつくと、自身もチョコボを借りる手順を踏む。

「ねぇ、あの二人の関係って何なのぉ?」

ショートの銀髪を指にくるくると絡めながら、モニカが問い掛けた。
『あの二人』とは当然、ノルヴェルトとトミーのことを指している。
その問いに対しダンは何も答えようとはせず、無言のまま利用料金をモニカの手に渡す。

「ダンは一体、何しようとしてるわけ? そんな顔しちゃってさぁ」

モニカを相手にする素振りを見せないダンを見上げ、なおも食い下がる。


自分がどんな顔をしているのか、ダンには見当もつかなかった。

葛藤と、罪悪感と、祈り。
総じて言えば、すべてが苦しい。


“きっひ~!”

チョコボに跨ったところで、二人きりのリンクシェルから声が届く。

“見張りの爆音タルタルから報告が来たぞぃ。騎士ボン、城の裏手からチョコボで出立~”

上機嫌の変態魔道士がスラスラと伝えた。


動きを堰き止めていた仕掛けを、解除した。
それに応えるように動き出す影。

すぅっと冷たく、思考が研ぎ澄まされる。

「……悪い。また今度な」

低い声でモニカに告げると、ダンはチョコボを走らせた。
取り残されたエルヴァーンの娘が抗議の声を上げているのが背中に聞こえた気がする。
しかし、ダンは今、それどころではない。


“釣れた”

ぽつりと一言、魔法の真珠に言葉を落とす。
向こう側でローディがにんまりする気配。

“きっひっひ! ホントに、ダンって《釣り》がめっちゃんこ上手いよにゃ~♪”

自分の見る目を称えるような、誇らしげな声。

真偽を確かめずに、放っておける相手じゃない。
切れ者で慎重な相手は、どうしても確かめたいはずだ。

そして、何としても阻もうとするだろう。

極力短い時間で終わらせに来る。
獲物が本物かどうか見定めることができ、確固たる武力を持った、自らの手で。

ダンは深い静寂に包まれた思考の中で、素早く采配を下す。


絶対に、護り通す。
そのために、相手を、確実に潰す。


俺が……。

俺が――背負う。


チョコボの手綱を握り締める手に、わずかな震えが走った。
ぞわりと頬がざわめく。

“やるぞ”

短く、ローディに告げた。
ダンが何のことを言っているのか理解した様子で、リンクシェル間で一瞬の沈黙。

“いいけど。ひとつだけ条件あり”

きっぱりとしたローディの声が返ってきた。
風を切るチョコボの上で、ダンは静かに続きを待つ。


“俺様が立ち会うことが、絶対条件だ”


どんな顔で言葉を返しているのか、分からぬような声だった。

“つまんないのだけは許さない”

もう一言加えてから、鼻で笑う。

”紙っぺらとか、萎~え~る~し”

この一言のトーンは普段通り。
ローディの声にわずかな引っかかりを覚えたが、すぐに思考を断った。
重要ではない。

快晴のラテーヌ高原を疾走する。


とっくに覚悟はできている。

絶対に護る。



――が。


分からない……。



今しかない。



   *   *   *



戦士団時代に各地を巡ったノルヴェルトの頭には、いつの間にか広大な地図が出来上がっていた。
転移されたラテーヌ高原からジュノに向かうならば――進むのは北。

あちらはセルビナを夜明け前に出ている。
となれば、今頃はジャグナー森林に差し掛かる頃か……すでに入っている。


体の大きなチョコボの手綱を操りながら、高原の草の上を駆け抜ける。
ノルヴェルトの背中にはトミーが黙って身を寄せていた。


ノルヴェルトが抱えている苦しさが心配で、トミーはギュッと鎧の背中を抱きしめていた。
今は言うなれば、自分の実の親かもしれない人達のもとを目指している。
しかし今は、それよりも、ただただ彼のことが気掛かりで。


本当に、痛みから守ることができるだろうか?
すでに傷だらけの、この人の心を。


トミーは、まだ自分には知らないことが多すぎると分かっている。
けれど、知っていることもある。
ノルヴェルトの傷付いた涙も、悲しみの震えも。

冷たい鎧の感触の奥に、確かに鼓動があるのを感じて、トミーは少しでも彼の支えになりたいと願った。

そこで不意に、名が呼ばれる。


"トミー、聞こえてるか?"


その声に胸が跳ねた。

迷う自分がいつも探してしまう声。
聞こえただけで安堵し、目の奥が熱くなる声。


"――え? う、うん"

甘えが声に混じらないように意識しながら言葉を返す。
"なぁに?"と聞き返す間もなく、リンクシェルの向こう側からダンが続ける。

"俺の都合で悪いが、今しかねぇ。聞いとけ"

その言葉に、不思議と指先が震えた。
ノルヴェルトがほんのわずかに背を強張らせる。
トミーは、何が始まるのかも分からぬまま、心の奥がざわついていた。
リンクシェルを持っている皆の意識が自然と静まったのが分かる。

やがて、呼吸を整えるかのような沈黙を置き、ダンの声が告げた。


"俺は、お前との綺麗な思い出なんかいらない。欲しいのはどこまでも続く『今』だ"


一瞬、何の話をされているのか分からなかった。

目を瞬いていると、一拍遅れて胸の中にその言葉がすとんと落ちてくる。
心臓の鼓動が、耳の奥で鳴り響いた。
ノルヴェルトの背中の微かな震えが、その鼓動と重なる。

“え……”

トミーは口を開くが言葉が出てこず、声が漏れた。
彼女に言葉が届いていることを確認したダンは、満を持して――ぶっ込んだ。


“俺にはお前が要る。お前にも、俺が要るはずだ"


仰天したトミーは力いっぱいノルヴェルトの背中にしがみ付いた。
チョコボが地面を蹴る音が遠くなる。
世界が完全に音を失う。

前置き通り、自分都合な彼はお構いなしに続ける。

"時間かけていいから、考えろ"

言い聞かせるような彼の声。

"いつになってもいい"

気持ちそのままの、願いの声。


"待ってるから……自分で取りに来い、俺を"


――そんな声で言うくせに、なんで今なの?

――忙しい時に、私のことなんかいいのに…って。

――ずっと前から……私は……。


“今は何も言わなくていい。……以上だ”


胸の鼓動が強く鳴り響き、視界が滲む。
リンクシェル越しに、仲間達の呼吸までもが止まったのが分かった。
誰もが息を呑み、言葉を飲み込む。

言葉を向けられたトミーさえ、言われなくとも、何も言うことができない。
胸の奥から込み上げてくるものを必死に堪え、ただ、ノルヴェルトの背中に顔を埋めた。


背中越しに感じる小さな震え。
ノルヴェルトは、何も言わず、ただそれを受け止めていた。



   *   *   *



離れた空の下、パリスはチョコボを連れて足早に歩きながらダンの言葉を聞いた。

胸が早鐘を打っている。
だが、その鼓動は、彼の言葉の熱量が理由ではない。

「……何をする気なの、ダン」

焦燥の呟きがこぼれる。

――どうして君は、『今しかない』んだ……?

ともに歩いているリオにはリンクシェルの声が聞こえていない。
それでも、パリスの表情を横目に、問い掛けてきた。

「ねぇ。……あの子、大丈夫よね?」

リオの声は、不本意と強がりと、不安が入り混じっていた。
かつてジャグナー森林でトミーと出会い、危険な経験をした記憶が一瞬よぎったのだろう。
前方を不機嫌な眼差しで睨んだまま、隣の青年に確認する。

「今回は、あの男が一緒にいるから……ちゃんと守ってくれるのよね?」

パリスはリオを見て、わずかに口を開きかける。

そうだ。
トミーはこれから、あの森に再び入ろうとしている。
しかし、今の彼女はあの時のような心細い状況ではない。

あの時絶対にいてほしかった男が、今回はそばにいるのだ。


だが、言葉より先に胸のざわめきが強く脈を打つ。
思わずパリスの視線が遠くの空へと逸れた。
全身に震えが駆け抜けるほどの焦燥が沸き起こる。

――まだ僕も聞いていない“何か”があるのか?

リオに何も返せないまま、パリスは堪らず前方へ駆け出した。
目前の出張チョコボ厩舎に向かって走る。

「ちょ、ちょっと、何よ急に!?」

リオが慌てて追いかける。

手綱を放すと、チョコボは元気に駆けて厩舎へ戻っていった。
パリスの心臓は今にも破裂しそうで、眉をしかめて胸元の服を握り締める。

そして胸中で叫ぶ。


――間に合えっ!!


自分でも、何に間に合いたいのかなんて分からなかった。


必死の眼差しで周囲を見回す。
そしてパリスは、テレポメアから立ち去ろうとしていた魔道士を、震える声で呼び止めた。



<To be continued>

あとがき

第三十二話『すべてを、今』でした。

ダンの選択に、胸騒ぎを覚えた方もいるかもしれません。
恐怖心を煽るものの正体は、きっと決断のあまりの速さ。
彼は理解してしまったのかもしれない。
何を為すべきかを。

気付いてしまった者ほど、怖かったはずです。
もう止められないのだと分かってしまうから。

この瞬間の覚悟が何をもたらすのか。
その行く先を、どうか見届けてください。