プロローグ
2005/09/15公開
それは、美しい世界ヴァナ・ディールの、ある日の昼下がりのこと。
心地良いそよ風が吹き抜ける、とある草原。
若草は波のように柔らかく揺れ、その中心に、一人の少年が仰向けに寝そべっていた。
ヒュームの少年は、頭の下で両手を組んだまま目を閉じている。
数分前、同じ町の子どもたちがこの草原へ遊びにやって来たが、少年の存在に気づくと、途端に声を潜め、何をするでもなく立ち去っていった。
寝そべっている少年は目を開くこともなく、その様子を草の囁きと一緒に聞き流した。
再び草原は少年だけのものになり、風と鳥のさえずりだけが彼に語りかけていた。
こんなにも心地良いのに、眠たくもならない。
日差しの暖かさを透き通るような白い肌に感じながら、少年は小さくひとつ溜め息をつく。
そんな自然の囁きに、人の足音が混じり始めた。
ゆっくりとした足取りで近づいてきたその音は、少年の頭のすぐ近くで止まる。
「ボン、ご主人がお呼びだぞ」
予想通りの声に、少年はまたひとつ溜め息を吐いた。
「どうしてこんなにつまらないんだろう」
足音の主の言葉を無視し、不思議そうに呟く。
「つまらないよ、とっても。バテシバはそういうこと考えたりしない?」
問いかけると、頭上から疲れたような溜め息が返ってきた。
「俺は仕事が忙しい。だから退屈なんて感じてる暇がない」
「仕事って言っても、毎日毎日同じようなことしてるだけだろ?」
そこでようやく少年は目を開ける。
見上げると、真上に大きな黒い影――腰に手を当てたガルカが、苦笑いを浮かべて覗き込んでいた。
「何も俺には残されてないじゃないか。することがない。つまらないよ」
ガルカはお手上げだと言わんばかりに肩をすくめる。
「そんなこと言ったって、しょうがないだろう」
「でも嫌だよ」
少年はムクリと起き上がり、背中についた草をいくつもつけたまま立ち上がった。
草原をぐるりと見渡し、ガルカへ向き直る。
透き通る宝石のような青い瞳が、真っ直ぐに彼を見上げた。
「ねぇ、もっともっと遠くに行ってもいいかな?全部捨ててさ」
「だあ?そういうことは俺に言わずにやってくれや」
「そう?………そっか!じゃあ今のは忘れてよっ」
無邪気に笑う少年のブロンドの髪を風が梳いていく。
草木のように波打つその髪をかき上げ、少年はガルカに背を向けて遠い空を見上げた。
「……なぁ……ボンよぉ」
空を仰いで大きく息を吸い込んでいる少年に、言いにくそうに呼びかける声が後ろから届く。
「その『ボン』っていうの、俺、嫌いだな」
「んにっは、『坊ちゃん』の方がいいかぁ?」
「それも嫌いだ」
品の無い笑いを浮かべるガルカに、少年は機嫌よく返した。
その背中を、ガルカはじっと見つめる。
「何処へ行こうが構わないけどよ、友達くらいは作った方がいいぞ。友達は多い方がいい」
ゆっくりとした口調でそう言いながら、ガルカが草原に腰を下ろす気配が、背中越しに伝わる。
少年は振り返らず、遠くの山並みに視線を向けたまま言った。
「いいよ、何人もいらない。そのうち一人くらい見つける」
少年は遠くの山々を見つめながら、期待に満ちた声で言った。
「……面白い奴がいいなぁ」
少年の美しい瞳には、胸躍るような輝かしい未来が映っていた。
ーーーーーーーーーー
とある港では、ミスラの少女が泡立つ波打ち際をじっと見つめて立っていた。
目元は赤く、少女は何度も鼻をすする。
その隣には、同じ年頃のヒュームの少年が立っていた。
少年は退屈そうに海を眺め、船を眺め、そして時おり少女の横顔をそっと盗み見ている。
少し離れた場所では、今しがた着いた船の積荷を男たちが手際よく降ろしていた。
海鳥の鳴き声と、慣れた調子で飛び交う男たちの大声が、港町のざわめきに混じる。
波打ち際を見つめていたミスラの少女は、横目にちらりとその光景を見やる。
グスススッと一際強く鼻をすすり、身を小さく屈めた。
そして波止場に腰を下ろし、飛び散る波しぶきの上で両足をぶらぶらと揺らす。
少女のミスラ族特有の尻尾は、地面を左右左右と払って砂まみれになっている。
しばらく黙っていた少年だったが、ついに痺れを切らしたのか、小さな手を少女へ差し出した。
少女は目だけをチロッと動かし、その手を見る。
「帰ろっ」
そう言う少年へ、少女はしばらく返事をしない。
足をぶらぶらさせたまま黙っていたが、少年の差し出した手はまったく引っ込まない。
根負けしたように、少女はようやくその手を取った。
少年は足元を見たままの少女をぐいっと引っ張り上げ、逃げるように歩き始める。
少女はぶすっとした表情のまま、しかし抵抗するでもなくその後に続いた。
少し歩いたところで、少年がぽつりと口を開く。
「大人になったら結婚しよう?」
「…………誰があんたと……」
石造りの港町を手をつないで歩きながら、ミスラの少女はわずかな間を置いて、そう小さく答えた。
ーーーーーーーーーー
ある屋敷の湿り気のこもった倉庫の奥で、エルヴァーンの少年は膝を抱えて座り込んでいた。
積み上がった麻袋の影に身を縮め、息をひそめるようにじっと蹲っている。
彼が背を寄せている壁の上部には小さな窓があり、そこから差し込む淡い光が、宙に漂う埃を照らしていた。
倉庫の中央には、斜めに差す白い光の柱がふんわりと立っている。
レールに入り込んだ砂粒を扉の車輪が噛み潰すような音がし、倉庫の扉が開いた。
そしてすぐに、同じ音を立てて閉まる。
静まり返った倉庫に、じゃりっと足音が響いた瞬間、長く続いていた静寂が破られた。
少年はわずかに体を動かし、自分を探しに来た人物が麻袋の山の向こうから現れるのを待つ。
うやら隠れている場所を知っていたらしく、入ってきた人物はまっすぐ少年の方へ歩いてきた。
やがて麻袋の影から姿を見せたのは、少年と同じエルヴァーン族の青年だった。
装飾のある服に身を包み、整った身なりのその青年は、足元を見つめたまま歩み寄ってくる。
そして、蹲る少年に目を向けることなく、静かに隣へ腰を下ろした。
少し狭いが、少年は身を寄せて青年を受け入れる。
すると、青年の手がそっと少年の頭に置かれ、優しく撫でた。
「…………あの話を…」
乾いた唇をかすかに開き、少年はか細い声で言った。
「聞きたい……聞かせてください」
そう懇願すると同時に、少年は膝の上で組んだ腕に顔を埋める。
青年は頭に置いていた手を肩へ移し、細い体をそっと抱き寄せた。
「いいよ。何度でも聞かせてあげる」
その声は驚くほど優しく、深かった。
だが青年はすぐには話し始めない。
しばらくの間、ただ少年の背を労わるように静かに撫でていた。
ーーーーーーーーーー
とある競売所の前では、常連客たちが窓口の一つを遠巻きにしながら、そわそわと視線を向けていた。
その視線の先では、小さなタルタルの男女とミスラの少女が数人、興味津々といった顔で受付の中を覗き込んでいる。
目を輝かせながら、彼らは好き勝手に興奮した声を上げた。
「やっぱり最初はあれかな?」
「道具屋で買うのと、どっちが得なんだろ~」
「あにゃー!?あの剣すごくカッコいいー!!けど値段が無茶苦茶にゃー!」
「私、あれ着てみたーい!!」
「やっぱりまだ他国の品は少ないんだな」
「えっ、これってどうやって入札すんの?」
会話として噛み合ってはいないが、楽しそうに口々に喋り続ける。
中を見たい一心で身を乗り出しているタルタルの少年が、ふと何かを思い出したように振り返った。
「ねぇ、やっぱり一緒に冒険者になろうよ!」
興奮冷めやらぬ声で語りかけた相手は、競売を覗く仲間たちの後ろに立ち、黙って様子を見ていたタルタルの少女だった。
彼女は少年たちのように窓口へ身を乗り出すこともせず、ただ少し離れて静かに立っている。
「学校で白魔法の成績すごく良かったしさ!絶対白魔道士に向いてるって!」
「うん~そうだよ~!一緒に冒険行こうよ~!」
別のタルタルの少女も加わり、楽しげに誘い始める。
「絶対大丈夫だって!絶対楽しいって!」
少年は熱を帯びた声で繰り返し訴えた。
一歩引いた場所に立つ少女は、困ったような、それでいて嬉しさを隠しきれない顔でたじろぐ。
彼女が返事に詰まっていると、競売を覗いていた他の少年少女たちも振り返り、自然と彼女を囲むように半円を描いて立った。
「行こうよっ!もう決めちゃえ決めちゃえ!」
「みんなで冒険するんだ!」
「カッコいい冒険者になるにゃー♪」
全員からの明るい声に、少女はおどおどと仲間たちの顔を一人ずつ見回す。
タルタルの少年も、タルタルの少女も、ミスラの少女も――みんな笑っている。
駄々っ子のように押しの強くなっていく彼らを前に、少女は視線を落とし、少しだけ考えるように黙り込んだ。
そして、ふっと控えめな笑みを浮かべた。
ーーーーーーーーーー
とある雨の沼地。最後の一人が、早口で何かをまくし立てるように叫んでいた。
男は最後にひときわ大きく叫ぶと、庇おうとした腕ごとぬかるんだ地面へ首を落とした。
取り残された身体が脱力し、泥を跳ね上げて崩れ落ちる。
その動かなくなった身体を踏みつけ、歩みを進める者がいた。
次の標的を求めるように薄暗い沼地を見渡すその男は、銀髪のエルヴァーン。
雨に打たれながら、ずるりと沼を踏みしめる彼の背後には、いくつもの遺体が横たわっている。
「なんでこんな……!!」
沼を叩く激しい雨音の中、男が苦しげに怒鳴った。
彼の周囲に、もう命ある者はいない。
あるのは、ただ自然という巨大な生命が雨を降らせているというだけ。
男の足取りは重い。
損傷の激しい鎧の隙間から、多量の血が流れ落ちている。
たった今斬り伏せた者たちの血を吸った大きな凶器を引きずりながら、男は天を仰いだ。
「どうすれば良いって言うんだよ!!?」
一体誰に向かって叫んでいるのだろう。
大声を張り上げた拍子に胃が逆流し、激しく咳き込みながらこみ上げたものを吐き出す。
濡れた長い髪がやつれた頬に張り付き、雨に打たれ続けた身体は既に冷え切っていた。
「どうして何も答えない……!?誰か……っ」
泥にまみれた手から凶器が滑り落ち、男は背を丸めて頭を抱え込む。
そして『狂ってしまえ』と、何度も何度も自分に呟き続けながら膝を折った。
頭を振り、焼けつくような激痛に震える身体を抱きしめるようにして身を縮める。
「…………助け……」
ーーーーーーーーーー
とある町の一角にある家。その窓際で、ヒュームの少女は髪を梳かしていた。
背中まで伸びた長い髪を、先日、母親にもらった貝の櫛でゆっくりと撫でる。
髪を梳かしながらぼーっと窓の外を見ていると、家の前を数人の子ども達が通りかかった。
少女と同じくらいの年頃だが、異種族ゆえか少女よりずっと背が高い。
楽しげにふざけ合いながら歩く彼らが窓の前を通りかかったその瞬間、少女は慌ててカーテンの陰に身を滑り込ませた。
ワンピースのポケットに櫛を押し込み、緊張で体をこわばらせながら思い切って走り出す。
窓に背を向け、一目散に二階へ続く階段を駆け上がる。
息を切らしながら踊り場の右側にあるドアを開け、勢いのままに部屋へ飛び込んだ。
部屋の中には誰もいない。
明かりもつけず、少女は暗がりの中で胸を押さえ、何度も深呼吸した。
ここは姉と共用している部屋だが、姉はまだ学校から帰っていないため、今は少女だけの空間だった。
荒い息を整えきれぬまま、少女は窓へ駆け寄る。
カーテンを勢いよく開いたかと思えばすぐに閉め、今度は指先でそっとつまんでわずかに隙間を作り、外をのぞき込んだ。
見下ろすと、さきほどの子どもたちが通りを駆け抜けていくところだった。
ふざけ合っていたのが鬼ごっこへと発展したらしく、エルヴァーンの子らは石造りの町を賑やかに走り回っている。
往来する人々の向こうへ姿が消えるまで、少女はじっとその背中を見送った。
やがてカーテンをつまんだ手を離し、小さくため息を落とす。
腕をだらりと垂らし、視線を落とすと、またひとつ息がこぼれた。
静かにカーテンを閉め、窓辺の壁に寄りかかる。
少女はそのまま、足元へ向けてじっと視線を落とした。
ーーーーーーーーーー
とある小さな町の、工場跡地の敷地内。
二人のヒュームの少年が地べたに座り込んでいた。
一人は胡座をかき、地面から伸びる草をぶちぶちと無心にむしっている。
もう一人は、手の中で二つのリンゴを器用に転がして遊んでいた。
草をむしっている少年が、さっきから一方的に愚痴を続けている。
「今朝もオメェの婆ちゃん来てたぞぉ。いい加減にしろってんだ」
黒髪を高い位置で結った彼は、口を尖らせ、まるで本気で迷惑しているような顔だ。
一方、愚痴を浴びせられている栗色の短髪の少年は、足を投げ出して座り、しかめっ面のままリンゴを投げては受け、また投げを繰り返している。
聞いているのかも怪しい様子だが、黒髪の少年は気にも留めていない。
石畳の隙間から生えている草を全部むしり終えると、周囲を見回して新たな草を探し、またむしりはじめる。
「どうにかしろってんでぃ。オメェんとこの婆ちゃんのせいで、うちの母ちゃんまで機嫌悪ぃんだ。あの婆ちゃんが言ってること意味が分かんねーって、母ちゃん最近ずっと機嫌悪いんだぞぉ?どうしてくれるんでぃ」
「……ほっとけばいいだろ。言わしとけよ」
ようやく栗色の髪の少年が返事をした。
黒髪の少年はパッと顔を向ける。すると、リンゴを弄んでいた少年が、その一つを唐突に放ってきた。
驚いた黒髪の少年は両手で抱きとめるように、小ぶりな真っ赤なリンゴを受け止めた。
「やるよ」
リンゴを放った少年は立ち上がる。
そして胡座の少年に近づくと、彼の後ろ髪を結んでいた紐を勝手に引っ張ってほどいた。
黒髪がぱさりと肩に落ちる。
「なっ……にするんでぃ!!」
「落ち武者」
「うっせバーロー!!!」
いきなり髪をほどかれた少年は、険しい顔で彼の手から紐をひったくり、リンゴを膝に置いて慌ただしく髪を結い直し始めた。
ぐらぐら揺れるリンゴを危なげに見つめながら、怒鳴り続ける。
「てやんでぇ、馬鹿にしやがって!いい気になってんじゃねーぞ!オメェの婆ちゃん、俺らがオメェのダチだと思ってんのかもしんねーけど、違ぇからな!俺ぁオメェのダチじゃねぇし、もちろん子分なんかじゃねぇってんでぃ!!いつもいつも俺らに罪着せやがって……うちの刀のサビにしてやらぁ!何てぇか、気に食わねぇんだよオメェはっ!」
『なんだってオメェの方がモテるんでぃ!!』と、ついでの八つ当たりまでこぼしたところで髪を結い直し終え、振り返る。
しかし、そこにいるはずの相手はもういなかった。
見上げると、栗色の髪の少年は離れた壁の上によじ登っている。
そして壁を跨いだ状態で、もう一つのリンゴを放ってきた。
座ったままの少年は慌ててキャッチする。
壁の上の少年は、ため息交じりに言った。
「それもやる。……じゃあな」
ぽかんと口を開ける黒髪の少年を無視し、彼はひらりと壁の向こうへ飛び降りた。
背後で『え? おい!』と声が上がるが、壁の向こうの少年は飛び降りた体勢のままじっと動かない。
その時、黒髪の少年がいる側の通りから怒鳴り声が響いた。
「――あ!見つけたぞガキ!!この泥棒野郎!!!」
その声が届いた瞬間、壁の向こう側の少年はすっと立ち上がり、無言で歩き出した。
後方の壁の向こう側からは『俺じゃない』という半分泣き声になった叫びが聞こえる。
「…だっせぇ」
少年はズボンのポケットに手を突っ込み、ぽつりとつぶやいた。
工場跡を抜けて細い道へ出ると、空が不自然なほど明るい空色で狭く切り取られているのが見えた。
ひゅう、と風が通り抜け、その背を押す。
通りに出れば、両脇には商人たちが店を広げ、陽気な声で客引きをしている。
少年はその賑やかさに興味を示すことなく、早足で歩き続けた。
道の先にある武器商人の店に、客が足を止めたのが見えた。
その客は街中にも関わらず武装しており、大きな荷物を肩にかけている。
少年は“冒険者”という存在を知っていたので、その客がそれなのだと気付いた。
少年は一瞥し、その横を通り過ぎたところで足を止める。
視線を肩越しに戻すと、冒険者の向こう側――人込みの中から見知った少年が飛び出してくるのが見えた。
「――ヤベッ!」
その後ろから数人の大人が追ってくるのを確認するや、少年は乾いた声で呟き、全力で人込みの中へ駆け出した。
彼らが肩を並べて共に戦うことになるのは――それから十年後のことである。
あとがき
………あー…………始まってしまった。最後まで書き上げられるのかー?コレー。オイ村長よぉー。(汗)
正直怖くてしょうがないですよ。
自信?そんなものあるワケがない。
しかしここまで村長作品を読んでくださった皆様に礼を尽くす意味では、是が非でも書き上げたいと思っております。
応援してくださる方々のために、頑張らせていただきます。m(_ _;)m
相変わらずのヴァナ要素激薄の身勝手ストーリーになると思いますが、宜しければこちらの作品にもお付き合いくださいませ。