戦争と少年
2004/07/20公開
荒野では風が吹きすさび、砂塵が波のように大地を駆けていた。
乾いた植物は、その波に耐えるようにかすかな音を立てる。
空を流れる大きな雲も、ぐんぐん風に押し流されていく。
少年は岩陰に身を潜め、目を細めて一点を見つめていた。
手にはほどよい大きさの石を握りしめている。
くたびれた服を来た彼の銀髪は砂にまみれ、パサパサに乾いていた。
その隙間から、エルヴァーンの長い耳がひょっこりと顔を出す。
細い腕には、いくつもの傷痕が残っていた。
徐々に弱まっていた風が、一瞬止まった。
その瞬間、少年は岩陰から身を乗り出し、握りしめた石を素早く投げる。
放たれた石は、乾いた植物の影に隠れていた一匹の兎に命中した。
兎は短い悲鳴をあげ、その場にひっくり返る。
少年はすぐに駆け寄り、倒れた兎を掴み上げてじっと見つめた。
砂で汚れた顔に、ふっと笑みが浮かぶ。
それから、少年は再び風が吹き始めた中を駆け出した。
少年は兎を抱え、崖が切り立つ岩場へとたどり着く。
切り立った崖が風を受けて鳴いている。
大事そうに兎を抱えたまま、少年は崖下の洞窟へと駆け込む。
洞窟に入ると、少年は何かを感じ取って足を止めた。
出た時は静かだった洞窟の中が、何だか騒がしくなっている。
さらに、鼻をつく異様な臭いにも気付く。
弾んだ呼吸を整え、闇の奥に目を凝らす。
すると、奥から何かが這い上がってきた。
びくりとして凝視すると、それは三つ年下の弟だった。
兄様、逃げて。
叫ぶ弟に目を凝らすと、体は黒い液体でべったりと汚れていた。
やがて、暗闇に目が慣れてくると、洞窟内のシルエットが浮かび上がる。
生々しい破壊音と共に、洞窟の中から溢れ出す賑わいの正体は、人々の悲鳴だった。
――オーク。
少年は闇の中の殺気と、逃げろと叫ぶ弟の声に恐怖を覚え、兎を放り出して後退る。
足元のゴツゴツした地面に躓き、転がるように洞窟の外へ飛び出した。
慌てて体を起こし、座ったまま洞窟から離れようともがくと、近くにエルヴァーンの青年が横たわっていることに気付く。
彼は体に何本もの矢を受け、肩から腹部にかけてばっさりと斬られて岩陰に転がっていた。
察するに、見張りが気付く前にオークの攻撃を受けたのだろう。
少年は声にならない悲鳴をあげ、後退る。
連合軍と獣人軍の衝突から逃れ、少年たちは行き先もなく何日も荒野をさまよっていた。
同じように戦火を逃れた民と寄り添い、負傷した男達を連れ、恐怖や空腹と戦いながら。
昨日、運良く身を隠せる洞窟を見つけたばかり。
水や食料を確保するために行動を始めたのは、今日が初めてだった。
少年は浅く忙しない呼吸の中で、洞窟の中を呆然と見つめていた。
そうだ、もしかしたらまだ中で数名の男達が戦っているかもしれない。
少年は、洞窟の中に負傷した戦士たちがいたことを思い出す。
母と弟も、まだあの中に――。
少年は転がる青年の遺体のそばに、彼の武器だったであろう細身の剣を見つけた。
意を決してその剣を掴むと、再び洞窟の中に駆け込んだ。
まず最初に少年を出迎えたのは、変わり果てた弟の姿だった。
咽るような血の臭い、奥から響いてくるたくさんの雄叫び。
洞窟の中は、地獄そのものだった。
――少年に気がついた狂気が、洞窟の奥から駆け上がって来る。
少年は荒い呼吸のまま立ち尽くし、地面に転がる弟と、赤く染まったオークたちを見比べた。
体は燃えるように熱くなり、心臓が破裂しそうな勢いで鼓動する。
そして、鬼気迫る叫び声をあげ、少年は猛然とオークへと突撃した。
気が付くと、少年は空と向かい合っていた。
強い力で洞窟の外まで弾き飛ばされた体は言う事を聞かず、痺れて軽く痙攣している。
朦朧とした視界の中、頭上で交わる剣の軌跡が見えた。
倒れた自分のすぐ横で、大きな鳥の足が何度も地面を踏み鳴らす。
数秒後、ようやく理解する。
チョコボに乗った者が、自分の上でオークと戦っているのだ。
体が動くようになると、少年はゆっくりと身を転がしてうつ伏せになった。
全身の痛みに耐えながら、オークと剣を交えている人間を見上げる。
チョコボに乗っていたのは、黒髪の若いヒュームの剣士だった。
下がっていなさい。
その人が言ったような気がした。
少年は状況が理解できず、ただぼんやりとしている。
やがて剣士はチョコボから飛び降りると、一太刀でオークを大地に沈めた。
洞窟の奥から、続々とオークたちが溢れ出す。
斬り倒されたオーク同様、出てくる者たちは鮮やかな赤の装飾で彩られていた。
引きつった声を上げる少年の前で、剣士は血のついた剣を一振りし、群れに向かって構えた。
――次の瞬間、砂塵の間から大量の矢が風のように吹き寄せた。
突然の攻撃にオークたちはもんどりうち、次々と倒れる。
少年が矢の飛んだ方向を見ると、砂塵の向こうから四匹のチョコボが突進してくる。
そのチョコボの後に続いて、数十人の武装した戦士達が突入してくるのが見えた。
彼らの種族は様々で、間近までくるとそれぞれに武器を抜く。
勇ましい喚声と共に戦士達はオークの群れと衝突した。
少年は地べたに這いつくばったまま、突然始まった戦闘を見つめる。
最初の一撃でほとんどの決着はついたようだった。
次々と斬り捨てられ、悲鳴をあげて倒れるオーク達。
あっという間に群れは殲滅され、戦士たちが武器を納める小さな音だけが響いた後、再び風の音だけになる。
少年は呆然と身を起こす。
不意に、その身が暖かな光りに包まれた。
驚いて顔を上げると、先ほどの剣士が魔法を唱えており、癒しの光が少年の体を苦痛から解き放つ。
「少年、毒には犯されていないか?」
そう言いながら手を差し出す剣士。
少年が座り込んだまま差し出された手を見つめていると、ヒュームの女性が駆け寄ってきた。
「マキューシオ!」
長いブロンドの髪を揺らし、華奢な体に鎧をつけた彼女は肩を怒らせ言った。
「一人で突っ走るのはやめてくださいと言ったじゃないですか!」
軽く息を弾ませた彼女の表情は厳しい。
「……すまない。この少年が中に戻っていくのが見えたから、つい。助けたかったんだ」
睨む女性にそう言いながら、剣士は少年に視線を落とした。
女性は少年を見下ろしつつも、視線を剣士に戻して何か言いたそうにしている。
「まぁいいじゃないか、いつものことだ」
そこへ、モンクの装備をしたガルカと小さなタルタルが洞窟から現れる。
剣士は彼らを迎え、『どうだ?』と問う。
「駄目駄目!ひでぇもんだよ、もう滅茶苦茶!残念だけどそいつだけだ」
「おい」
無神経に少年を指差すタルタルを、ガルカが静かに諌める。
戦士たちがそっと少年の様子を覗くと、彼は座り込み、自分の手元を見つめていた。
「……そうか……」
剣士は残念そうに呟き、手に握ったままの剣をすっと腰に納めた。
――その瞬間、座り込んでいた少年が突然立ち上がり、駆け出した。
「うああああああああ!!!」
少年は先ほど自分が握った剣を拾い上げ、猛然とオークの死体に斬りかかる。
それを見た戦士達は仰天し、少年の元に駆け寄った。
「何を――やめなさい!」
ヒュームの女性が少年の腕を掴むが、少年は彼女の手を乱暴に振り払った。
「ぅああ!わぁああ!!!」
発狂したように、オークの亡骸に何度も剣を突き立てる。
その鬼気迫る様子に、戦士たちは苦しい表情を浮かべる。
すると今度は剣士が少年を押さえ、オークの亡骸から引き離した。
「やめないか、落ち着くんだ!」
「フー……フー……!!」
それでも少年は何度も唸り声をあげ、死体に向かおうともがく。
周囲に集まった戦士たちは、押し黙ってその様子を見守る。
「…やめろ……やめろ」
剣士は落ち着いた声で、繰り返しそう言い聞かせる。
吠えて暴れる少年の瞳は震え、オークを睨みつけたまま涙で滲んでいた。
やがて少年は精も根も尽きたのか、暴れる力を徐々に弱める。
歯を食いしばり、肩で荒い呼吸をする少年を見つめ、剣士も押さえる力を緩めた。
――すると次の瞬間、少年はオークの亡骸に向かって怒声と共に剣を投げつけた。
そして力尽き、その場に膝を折る。
彼が憎しみを込めて投げた剣はオークまで届かず、地面でザラァ…ンッと跳ねるだけだった。
「………どうして…?」
荒い呼吸の中、少年が搾り出したようにうめいた。
服の乱れもそのまま、地面に両手をつき、洞窟を見つめる。
洞窟入り口の地面に、先ほど自分が取ってきた兎が踏みにじられていた。
「何で……どうして!?」
キッとヒュームの女性を睨むが、彼女は何も言わない。
「ねぇ!どうして!?」
ガルカやタルタルにも問いかけるが、やはり彼らは何も言わない。
少年はぐっと唇を噛んでうつむいた。
それからゆっくりと、剣士を見上げる。
「………どうしてさ……?」
すがるような瞳を見た剣士は、非常に心苦しそうな表情を浮かべた。
そっと少年の前に片膝をつき、弱々しい声で言う。
「……もっと早く見つけていれば……こんなことには……」
歯を食いしばって耐える少年の瞳を見つめ、さらに低く呟く。
「許してくれ……」
剣士は、まだ幼い薄汚れたエルヴァーンの少年に頭を垂れた。
少年は喉を引きつらせながら、ただその姿をじっと見つめる。
「マキューシオ……」
傍でその様子を見つめるヒュームの女性が、ぽつりと呟いた。
すると、先ほどのモンクのガルカが、彼女の肩にそっと手を置いた。
目に涙を浮かべた彼女が見上げると、ガルカはゆっくりと頷いて見せる。
そして剣士の横に立ち、彼の肩を優しく叩いてから、少年を見下ろした。
「名前は?」
低くて太い声で尋ねる。
少年は乱れた銀髪の隙間から、ガルカをじっと見つめる。
「…………ノルヴェルト」
この時、少年は十四歳。
世界はクリスタル戦争最盛の時代であった。
あとがき
出会ってしまったね…。もう、ご……ごめんなさい。
この二人を見るだけで、胸がいっぱいになってしまう。
最初はこんな、《子ども》と《大人》の出会いでした。
どうか、この出会いの行方を、そっと見守ってください。