風鳴りのブブリム

第三章 第二十九話
2025/11/28公開



夜が明け、ここは南サンドリア。
ひんやりとした空気の中、朝日が建造物を横から照らし、街中はまだ影ばかり。

晴天の空を見上げ、自分ほど前途洋洋な男はいないと鼻の穴を膨らませている男がいた。
その名はアズマ。
朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸した彼は、痛々しい程に幸せそうだった。

大きな荷物を背負ったアズマは、王都の凱旋広場に立っていた。
リージョンの影響か、普段より人が多い。
早朝にもかかわらず賑わう広場で、アズマはある人物の到着を待っていた。

カリスマ冒険者から依頼された任務は、簡単に言えば《運び屋》だった。
というか、ローディが用意した荷物を持って指定の場所で待機していればいいというだけの内容。
待っていれば受け取り手が現れるので、引き渡して任務は終了ということ。
格好は鎧装備ではなく、余暇を過ごすような身軽な装いで来るようにとの指示だった。
それに従い、今のアズマはシンプルなシャツとズボンという極めてラフな格好をしている。
ただ、スキンヘッドと顎鬚というビジュアルのせいで、どうしてもチンピラ感だけは隠せなかった。


『とても大切なものだから、丁重に扱ってくれ』
『そして中身は、絶対に見たら駄目だ』

あのカリスマ冒険者からの忠告。

背負った大きな荷物の中身を、アズマは知らない。
聞いていた通り、朝早く部屋の前に置かれていた。
質感からして……ゴロゴロと複数のものが入っているわけでは無さそうだが、しっかりと重い。
角張ったものではなさそうだが……液体でもない。砂金の詰まった袋?とか??

いや、荷物が何なのかを詮索するのはやめよう。

とにかく、"あの"ダンの手に余り、幸運にも転がり込んできたチャンスだ。
荷物は大きく重いが、今のアズマにはチャンスの重みのほうが勝っている。

『衝撃与えたりすんなよ。死にたくなかったらな』

憎たらしいダンの言葉まで思い出してしまい、顔を振る。
『うっせバーロー』と内心吐き捨てた。


「嗚呼。俺の人生、これから一体どうなるんだろうな」
独り言ではないのかもしれないが、周囲はそれを独り言としてスルーした。
アズマの傍にはタルタル族の魔道士。チョモが立っていた。
真っ青な顔をして、そろりそろりと苦しそうに呼吸している。
「オメェは何なんでぇ?悪いもんでも食ったのかぁ??元気出せよ!はっはっは!」

機嫌が良い。
今だったら唾を吐きかけても笑い飛ばしそうなくらい機嫌が良い。

対してチョモは、強ばった顔で目がくぼみ、唇はカサついてひび割れていた。
「……ガチなんで…」
専売特許である大声を封じ、ぼそりと呟く。
明らかに様子がおかしい同僚に、アズマは眉をつり上げる。
しかし今は特段の興味もない。重い荷物を背負い直して周囲を見回した。

今日は普段よりも通りを行き交う貴族や騎士の姿が多かった。
明日、ドラギーユ城で王国の催事があるようだ。
サンドリア王国の国民たちにとってはめでたい催事なのだろう。町の人々も浮かれているムードがある。
しかし、冒険者のアズマにとってはあまり興味のないことだった。

関心のない眼差しで通りを眺めていると、ふとその目を瞬く。
ガードの任についている騎士団の衛兵が、いつの間にか少し増えているような気がした。
まるで、何かに警戒を強めているかのようにも見える。

ぼんやりと考えるが、特に気にせず受取人とやらの姿を改めて探す。

ふと、視界の端に、サンドリア王国の騎士制式服を纏い、明るい髪をオールバックにした高貴な騎士の姿が映る。
周りを行き交う貴族や騎士よりも、頭一つ出ている長身のエルヴァーン。
姿勢よくキリリと硬い表情をしたその男は、ゆっくりと歩きながらアズマに視線を向けている。
受取人だろうかと、アズマも注目する。

しかし相手はこちらに寄ってくることはなかった。
彼は、警備にあたっている騎士に近付き、耳打ちする。

「あの者、先ほどから怪しい動きをしていないか?」

普段、ゆるい笑みの中から軽口を叩いている冒険者とは想像できない――低く厳かな声で。

その一言が引き金となり、街道一角の空気が微妙に変わった。
警戒心を募らせた騎士達が、目配せを交わす。
その光景に、アズマははたと身を固め、目を瞬いた。

「……待て待て……」

アズマの視界の隅で、チョモが突然魔法詠唱を始め、インビジで姿を消す。

「 待 ち や が れ ! 」

無言の内に意思の疎通を終えた騎士達が、決断したようにこちらに向かって足を踏み出す。

次の瞬間、アズマは少年時代より染み付いた本能に従い、脱兎のごとく駆け出した。
広場の石畳を蹴り、細い路地へ飛び込む。

「――おい!そこの者、止まれ!」

鋭い声と同時に、重い鎧の響きが石畳に打ち鳴らされる。
振り向けば、槍を構えた騎士団の衛兵が二人、真っ直ぐこちらへ駆けてくるではないか。
思わずひゅっと冷たい息を吸い込む。

「っだぁぁぁ重ってぇぇぇ!!」

アズマは背負った荷物に肩を引きずられながらも、石畳を蹴って走り抜ける。
脇道の前を通過すると、そこから一拍遅れて新たに現れた騎士が声を張っていた。

「爆破予告の被疑者だ!囲え!」

「――え?」

他人事のように、思わず口から声が漏れた。
背負った荷物が肩に食い込み、背骨を軋ませる。
"アズマさん回り込んでくるそっちから回り込んで来るぅぅう!!!"
鼓膜をぶち壊す威力の絶叫が頭蓋骨を揺らした。

前方から現れる騎士――肩越しに振り返ると、こちらに迫る二人の騎士。
そして彼らが緊迫した表情で見つめる、自分が背負った重たい荷物――が、少し光を帯びたような気がした。

"アズマさんそれ!はははは爆ぜるやつなんで!!!"

「マジっすか!!!!!?」

普段同僚がよく叫んでいる言葉を、今はアズマがシャウトした。

『火事場の馬鹿力』とはよく言ったもので。
まるで風が手伝ってくれたのかと思うほど荷物の重さが和らぎ、アズマは道の脇にあった樽を踏み台にして物置小屋の屋根に飛び上がった。
「寝耳に水だぁバロちくしょうめぇぇえ!!!」
叫びと共に、アズマは屋根伝いに飛び移る。
後ろからフワッと追い風のように魔法を感じる。
安全圏から援護しているくそチビの気配を感じ取りつつ、アズマはねずみ小僧よろしく、巧みなステップで飛び移り、別の路地へと包囲を脱した。
“アズマさんは受け渡すだけなんすから絶対に死守ぅぅう!!!!”
“合点承知之助でぇ舐めんなオラァァァ!!”
グリップを利かせて転じ、素早く進む方向を二転三転させて狭い裏道を一気に駆け抜ける。

“見ろや俺の韋駄天走りぃ!!!”

妙に街中を逃げ回ることに経験値を感じさせるアズマは、縦横無尽に大立ち回りを繰り広げるのだった。



「…………ダンって本当に、鬼畜だよね」

狭い路地を縫うように駆け抜けていくハゲ侍を、目をひん剥いて凝視しているチョモの元に、騎士風のエルヴァーンが歩み寄る。
びしりと王国騎士制式服を着込んで身だしなみをキメた――パリスだ。

アズマのことを必死に目で追っていたチョモが目を瞬いて頭を抱える。
「ああああ!ダメっす!見失いました!!ダンさんの言ってた通りっすね!」
にわかに騒がしくなった街を眺め、パリスはふーと息を吐いて言う。


「それじゃ見張り、よろしくね」

プレッシャーのあまり声を出せずにガチャガチャと頷くチョモ。
彼を見下ろして頷きを返すパリスもまた、緊張した真面目な面持ちだった。



   *   *    *



賑わいの現場を離れ、パリスはドクドクと脈打つ胸元を無意識にぎゅっと掴んだ。
サンドリア王国の街道を通り、冒険者で賑わうエリアを足早に横切る。
冒険者に提供されたレンタルハウスの扉が並ぶ地区に入り、パリスは部屋の番号を目でなぞりながら歩いた。

そして、探していた部屋を見つける。

ごくりと息を飲んで、扉にそっと顔を近付ける。


「…………も〜い〜よ?」


事前に聞かされていた“魔法の言葉”を、恐る恐る言ってみる。
緊張しながらドアノブを捻って引くと、ゆっくりとドアが開いた。

――途端、四つん這いになったミスラが必死の形相で部屋から這い出てきた。

「――っ!?」

びくっ、と肩を飛び跳ねさせるパリス。
言葉も出ない様子のミスラは、部屋の中を振り返り、それからパリスに気付き、さらに目を見開いた。


「――っ!!――っ!?……?」


誰かいる!!

誰あんた!?

――でもこの顔知ってる…。


そんな感じで、百面相している。


「――パパス!」

「ちょっと惜しいっ。パリスです」

部屋の中を指差して、リオはまだ震えの残る膝で通路に座り込んだ。

「こ・の・部・屋・ヤバいわよ!!さっきまでモーグリがドアに張り付いて牙向いてめっちゃくちゃ怖かったし!!あとなんか、部屋自体がずっと軋んでんのよ!!!」

パリスが何となく、部屋の中を覗き込む。

……みし……みし………。

確かに。
まるで何かが今にも爆発しそうな、不穏な軋みが部屋の中でこだましていた。

「……ポ、ポストかな?」

何とも言えない恐怖心を掻き立てられる部屋に苦笑いして、リオに手を差し出す。
視線を落とすと、リオは物凄く怪訝な顔をしてパリスのことを見上げていた。
彼女からのその眼差しに疑問の瞬きを返す。
けれど、パリスはすぐに思い当たった。
あはは…と小さく笑って、バチッと固めたオールバックの頭をクシャクシャとかき混ぜた。

「さて、行きましょうかリオさん。迎えに来たんです」
「はあ?行くって、何処によ?」
「トミーちゃんのところ」
差し出されたパリスの手を無視し、リオは両手の砂を払いながら立ち上がった。
「あたし、全っっ然、状況が分かんないんだけど!?アレも何だかちっとも聞こえないし!」
『アレ』と言うのはリンクパールのことだろうと推測しながら、パリスは苦笑いして見せる。
どうなってるんだと毛を逆立てて怒りつつ、ポーチから魔法の真珠を出そうとするリオ。
はっと何かに気付いた様子で、パリスはそれを制した。
代わりに、ポケットから取り出したものをリオに手渡す。

テレポメアの石。

「ちょっと、大変なことになりそうで……」

声が自然と低く、重くなる。
パリスは自分の髪をさらにかき混ぜた。
「移動しながら話します」
よく聞き取れないかのような険しい顔をして、リオはミスラ族特有の耳をひくつかせた。

何かを予感させるような風が、遠くから冒険者達の賑わいを連れて二人の間を吹き抜けた。



   *   *   *



汽船がマウラの港に到着すると、ダンが船着き場で待っていた。
船を降りたトミーは、その姿を見つけてほっと目元を緩める。
だが同時に、申し訳なさそうな影も落とす。

彼は『もっといい場所で休む』と言っていた。
けれどトミーには分かっていた。
自分には想像もつかないほどのことを、彼が処理して戻ってきたのだろうということ。
自分が眠っている間も、彼はきっと休んでいなかったに違いない。

しかし――そうした気遣いをダンは望まない。
だからこそ、トミーは余計な言葉を飲み込み、代わりにこう告げた。
「……飛び回って、すごいね」
激務を平然とこなしてみせたことへの、素直な尊敬。
夜明けの光を浴びたヒュームの戦士は、腕を組んだまましれっと返す。
「冒険者なんてこんなもんだ」
そう言ってから、周囲に鋭い視線を走らせるノルヴェルトへと目を向ける。
危険がないことを確認したノルヴェルトは、ダンと視線を交わした。
ダンはその役割を改めて確認するように小さく頷き、両手剣を背に歩き出す。
「早速、行くぞ」


マウラを出て、ブブリム半島へと足を踏み入れた。
海から吹き込む風が、細かい粒子の砂を追い回しながら吹き抜けていく。

「わぷっ」
びゅうと拭いた風に煽られ、顔にかかった砂を払いながらトミーがダンの背中に問いかけた。
「ねぇ、ダン。結局その……パリスさんは?」
前をすたすたと歩くダンは即座に答える。
「ネコと合流して、ロエさんと協力者招集の舞台を整えてる。心配すんな」
そして周辺を見渡しながら、リンクシェルへと意識を馳せる。

“おい、今何処だ?”

呼びかけたのは、ローディとダンの二人だけが持つリンクシェルだ。
するとこちらもすぐに返事が返ってくる。

“俺様、もういるぞぃ。きひっ!ダンのことよ〜~く見えてる☆”

順調な滑り出しだが、気分は最悪だった。

近くに姿はないが、どうやらローディもこちらに合流を果たしているようだ。
“あっちも、鬼ごっこが始まったみたいだのぅ”
ローディがいう『あっち』とは、サンドリアのガチ囮班のこと。
仕事の依頼に際し、アズマとチョモには今回の任務専用のリンクパールを渡していた。
二人は気付いていないが、そのパールを所持しているのは二人だけではない。
ローディとロエも所持している。
本来総司令であるダンも所持するべきところだが、そこだけは常識に反した。
あの爆音タルタルの絶叫と、てやんでぇ侍の怒号が飛び交う通信網など、デメリットしかない。

「わ、私達は、どこに向かうの?」
風から顔をかばいながら、尚も不安げにダンへと質問を投げかけるトミー。
肩越しに振り返り、まずはタロンギ大峡谷を目指すと教えてやった。
そして再び周辺に視線を投げると、ダンは口の中で小さく舌打ちする。

“……この風、面倒だな”
“妖精たんに会えるかもにゃー”
“注意しろ”

冒険者として経験豊富なダンは、このブブリム半島の天候にすぐさま、ある可能性を見ていた。
厄介な敵が湧くかもしれない。
ローディも当然心得ているので、そのやり取りは至極スムーズだった。

目立たぬよう、反り立つ岸壁沿いにタロンギ大峡谷を目指して進む。
岩の間を吹き抜ける風がうねり、後ろから背中を押されるようだった。


――その時、ノルヴェルトが風の音の中から微かにバネの音を聞き取った。

即座に大鎌を掴みトミーを後ろに引き込む。
トミーは声になっていない悲鳴を上げ、ダンも瞬時に身構えた。

砂を舞い上げる風の中、ボウガンの矢が鋭く横切った。
――しかし、その矢はトミーたちに向けられたのではなく、先の岩陰へと消える。
岩陰からギィィッという獣人の奇声が響く。
かすり傷を負ったゴブリンが姿を現し、怒りに満ちた目で周囲を睨み――その目がトミーの姿を捕えた。

皆が目を見張ると、別の方向からも獣人の声が響き、同様にかすり傷のゴブリンが呼び寄せられる。
ゴブリン達はダンとノルヴェルトには目もくれず、明らかにトミーへ敵対反応を示していた。

「……なるほどな」
風の中、状況を把握したダンが鋭い眼差しで呟く。


そして。

風が吹き抜ける谷間の先から、ジェラルディンが姿を現した。

前方にはジェラルディン、脇道と――後方にはトミーを狙うゴブリン。
両手剣を抜いたダンが後方に足を向け構える。
斧を手にこちらににじり寄るゴブリン――その後方から、腰のベルトにボウガンを戻しながらウォーカーが現れた。
トミーを守るように立ち、それぞれに両手剣と大鎌を構えるダンとノルヴェルト。

すると――何も言葉を交わさぬうちに、ジェラルディンが突如魔法の詠唱をした。

ジェラルディンに対峙していたノルヴェルトは目を見張るが、トミーをその場に残して飛び出すわけにもいかない。
詠唱が結ばれ、編み上げられた魔力が解き放たれる。
「バニシュガ」
空間に柔らかい光の球が浮かび上がり、瞬く間にブブリムの荒野に広がる光の渦へと変化する。
閃光と共に空気が裂かれ、ほこりや砂を光のカーテンに巻き込んで霧のように舞わせる。
炸裂した光の奔流を、大鎌を構えてやり過ごしたノルヴェルトはハッとしてトミーを振り返る。
「…う…ぁ」
ヒュームの娘は魂を斬り付けられたかのように膝を折り、苦しげに身を屈めていた。
「――っ!」

その光景にノルヴェルトが息を詰まらせ身をかがめると、視界の端を横切っていく光る残像。
トミーを守るように構え、瞬時に鋭い視線を向ける。

エアエレメンタル――精霊の光で輪郭が淡く輝くつむじ風が舞い込んでいた。

チカチカする視界に顔をしかめてダンは歯噛みする。
この風であれは湧いてもおかしくないと警戒していた厄介な敵だった。

――わざと呼び寄せやがった……!

意図的に招き入れられたエアエレメンタルが魔法の煌めきを見せた。
直後、空気がざわめき、足元から強い風が吹き上がった。


混沌の只中で、しかしその喧騒から適度に距離を置いた場所――
少し離れた岩の上で、ローディが足をぶらぶらさせながら状況を眺めていた。
共和国制式礼服をまとった魔道士は手を叩いて笑う。

「最高最高!きゃつらも本気出してきたのぅ!!」


風は砂と塩気を巻き上げ、渦を巻くように周囲へ広がっていく。
陽の光を受けた砂粒が無数の光点となり、視界を白く霞ませた。
エアエレメンタルが放出したのは――風属性の魔法、エアロガ。
耳をつんざくような風鳴りとともに、背丈ほどの風刃が一斉に放たれ、ブブリムの乾いた草を切り裂く。

ダンは舌打ちすると両手剣を一旦背に収め、直ちに魔法の詠唱に入った。
トミーに癒しの光を注ぐ。

"――トミー!お前はノルヴェルトを連れて逃げろ!!"
リンクシェルで声を張った。

途端に、魔法に反応したエレメンタルがダンに吸い寄せられるように、砂埃を引き連れて吹き寄せる。
乱入し暴れ回るエレメンタルがトミーを巻き込まないよう、ダンはその場から引き離した。

"連中の一番の狙いはノルヴェルトだ!絶対放すなよ!!"

砂埃のカーテンを押し退けて突進してきたゴブリンの斧を、ノルヴェルトの大鎌が乱暴に弾き飛ばした。
直後翻った大鎌の一閃でゴブリンの身体は吹き飛び、砂埃が竜巻のように舞う。
ノルヴェルトはすぐさま片膝を着いてトミーを覗き込んだ。

「ソレリ……!!」

ダンからケアルを受けたトミーは、苦し気な息を吐きながらも笑みを浮かべて見せた。
至極心配そうな顔のノルヴェルトに、はっきりと言葉を返す。
「大丈夫です…っ」
ノルヴェルトを見つめる彼女の眼差しは、守られる者ではなく、守る者の目だった。

――絶対、守ってみせます。

勇気づけるようにそう語る彼女の目は、吹き荒れる砂塵の中でも強く輝いていた。

「切り抜けましょう、ノルヴェルトさん!」

トミーは立ち上がると、迷いなくノルヴェルトの腕を掴んで脇道へと駆け出した。

エアロガの余韻で砂塵の荒れ狂う中、岩肌の先に駆けていく獲物を見たジェラルディンの目が鋭くぎらつく。
目配せし、ウォーカーが迂回路に姿を消した。


"……ドジっ子の扱い、うま過ぎて草……"
感心したローディの声。
"オイ、ぼさっとしてないで持ってけ!"
"まだ汚れたくないのにーーー!!"
ダンに誘い出された半透明の影――風のエレメンタルに向け、ローディがサイレスを唱える。
魔法を感知した精霊の渦は、嵐のようなうねりをまとってローディに手繰り寄せられていった。

暴れる精霊が剥がれたダンは、砂まみれになった目元を拭ってすぐに反転した。
びゅうと吹き抜ける風が混沌をさらい、現場の視界が開けていく様に目を見張る。
ジェラルディンは動いていないが、ウォーカーの姿がない。
まだ離れた位置にいたウォーカーは、手前の岩肌に沿い、トミー達が駆けていった脇道の先を目指したのだろう。

――先回りなんて意味ねぇ。
――あいつは進むべき方向なんて、分かってねぇからな。

思いながら駆け出すと――案の定。
今しがた姿を消した脇道から、ノルヴェルトを引っ張るトミーが再び飛び出してきた。

「――あれっ!!?」

彼女に腕を引かれているノルヴェルトの困惑顔。

トミーのことを見失っていたゴブリンを両手剣で叩き斬り、ダンは“こっちだ!!”と叫んだ。
ダンの姿を確認したトミーの目に安堵が滲む。

直後、彼女の手を振り払ってノルヴェルトが飛び出した。
砂煙の余韻を割って迫ってきたジェラルディンの剣に大鎌をぶつける。

「ノルヴェルトさん!」

目を見張ってトミーは足を踏み出した。

――その時。

砂塵をまとってうねる風を割いて、岩肌の間を黄色いものが横切った。

次の瞬間、トミーの身体が宙に浮き、声になっていない悲鳴を上げる。
彼女の腕を取ってその場からかっさらったのは、チョコボに乗ったパリスだった。

「あっはっはっはっは!パリス・サーカスだよ〜♪」

チョコボは駆け抜けた勢いのまま大きく旋回。
ターザンロープ状態で大きく振りかぶられたトミーは、そのままの勢いでダンの元に放り出される。

「ぇわぁぁあああ!!!?」

「あたしにはそんなん無理だから勝手に捕まって!!!」


トミーの悲鳴に重なり、そんな絶叫が聞こえる。

パリスがトミーをさらって駆け抜けた後を、続けてリオの乗ったチョコボが駆け抜ける。
ジェラルディンと鍔迫り合いをしていたノルヴェルトは、砂煙の中、突如現れたチョコボの影に一瞬だけ目を見開いた。

次の瞬間――駆け抜けるチョコボの首元へ飛びつく。視界が一気に流れ出した。

互いに感情の熱を宿した眼差しをぶつけ合いながら、ノルヴェルトとジェラルディンの距離は砂煙の向こうに引き裂かれていった。

ダンは素早く腕を伸ばし、飛び込んでくるトミーをごしゃっと手荒に胸で受け止めた。
踏ん張った足が衝撃で後ろにずれる。
リオのチョコボから離れたノルヴェルトも、黒い影のように二人の傍に着地する。
鎧の金具が重々しく鳴った。
ばさりと降り立った黒い鎧の身体に、トミーは安堵の息をこぼし、しがみついた。


「ふ~む……味的には、氷が解けたメロンソーダみたいな?」
ぶつぶつと独り言ちつつ、体に付いた砂を叩きながら戻ってきたローディは、パッと金髪を払って状況に目を瞬いた。
「おっと、にゃんボム来てんじゃん」


再び強い風が岩間を吹き抜ける。
視界がクリアになると、酷く退屈そうな顔をしたジェラルディンの元に、戻ったウォーカーが歩み寄っていた。
おもむろに、ジェラルディンは傍に来たウォーカーの腰からボウガンを取る。
そして無言で構えた。
彼のぎらつく視線の先には――
緊張が溶け息をついてチョコボを立ち止まらせるリオと、彼女に労いの眼差しを向けているパリス。

何が起きるのか気付いた者の呼吸が、一拍遅れで止まる。

「…正気か――!?」

ダンが飛び出す前に、弦が素早く二度鳴った。

矢は迷いなく、チョコボの胸へ。
目を見張ったパリスとリオが咄嗟に手綱を引き、チョコボの向きを変える。
硬い羽根を突き破る音が響き、チョコボの逞しい足に矢が立つ。

チョコボの悲しい悲鳴が響いた。

もんどり打ってバランスを崩すチョコボから投げ出される二人。
パリスは咄嗟に身を丸めて乾いた地面を転じ、素早く体を起こす。
すぐさま彼が緊張の眼差しを向けた先では、リオがミスラ族の身体能力を見せ、しなやかに着地していた。
「チョコボを撃つなんて――獣人でもやんないわよっ」
着地した低い体勢のまま、リオが乾いた声で呻く。
一連の流れの中で、ジェラルディンの顔には何の感情も浮かんでいなかった。

衝撃の光景に見開かれたトミーの瞳。
瞬間、脳裏に蘇る情景があった。

初めて訪れた家。干し草の匂いの中、指先に触れた色褪せた羽根の温もり。
その羽根をそっと包み込み、命の重さを静かに教えてくれた——あの優しい瞳。

思い出した瞬間、今の光景がその温もりを乱暴に引き裂いた。
喉が焼けるように熱くなり、呼吸が一瞬止まった。

「……やめて…っ!」

そのトミーの叫びはブブリムを吹き抜ける風に掻き消されそうになりながらも、全員の耳に鋭く刺さった。

「もうやめて!!」

横たわり、バタバタと悶えているチョコボに駆け寄るパリスとリオもこちらを振り返る。

溢れ出した涙で視界が滲み、トミーは両手で顔を覆った。

ーーどうしてこんなことまでするの?
ーー誰も……誰も、傷つく必要なんてないのに。

「こんな……こんな風に傷付け合ったって――意味は、ないんですっ!」

喉が震え、声にならない空気がこぼれた。
胸の奥につかえていた痛みが、ついに堰を切る。

「……っ、あなた達が……」
言いかけた瞬間、悲しみを堪える銀髪の横顔がよみがえった。

言えば戻れない。
でも——止めなければ、もうこんなことは!

唇を噛み締め、涙に濡れた瞳を上げる。

「……あなた達が探している……マキューシオさんも、スティユさんも……!」

風が息を潜めた。

「――もう……もう、死んでしまったんです!!」

叫びが風に引き剝がされ、空へ消えた。

左眉に傷を刻まれたノルヴェルトの目が見開かれた。
驚愕の眼差しが自分に向けられたことを感じ、トミーの肩が小さく震える。
堪えきれず涙が落ちた。

「もう傷付けないで、お願い……もうやめてくださいっ!」

その震えとは対照的に、ジェラルディンは眉ひとつ動かさず。
しかし視線はトミーに固定されていた。
無感情な瞳の奥に、状況を素早く測るような光がわずかに差す。
ウォーカーは眉をひそめ、トミーの叫びに微かな戸惑いを隠せない様子だ。
しかし、彼もまた攻撃の意思を失わず、次の一手を探る目をしていた。

悲しい声で叫ぶトミーの姿に、リオは大きく目を見開いた。
彼女の言葉を反芻すると、ここへ来るまでにパリスから聞いた出来事の数々が、渦のように頭をかき乱す。

突然現れ、息をするように他者を傷付ける騎士達。
まったくもって、一ミリも、理解できない。
陰謀とも無縁の自分たちが、なぜこんな目に遭わなければならないのか。

――泣かなくていいわよ、こんなことで!
――そんな奴らに“お願い”なんか……しなくていい!!!

胸の奥に押し込めていた怒りと恐怖と悔しさが、あの“身勝手な騎士ども”へ向けてぐつぐつと煮え立つ。
沸騰した熱が、言葉となって噴き上がる。


「――いい加減に……しなさいよっ!!」

沈黙を破るように、リオが震える声で叫ぶ。
その叫びは砂埃を揺らし、空気の層を裂くように響いた。

ダン、ローディ、パリスの背筋にざわめきが駆け抜ける。

「調子に乗ってんじゃねぇわよ、あんた達!今に見てなさい!!」

砂が舞う中、風がぴたりと止まったように感じた。
リオの怒気は熱そのものとなり、空気を震わせる。

彼女は振り返り、トミーを射抜くように見つめ――全身の力を振り絞って叫ぶ。



「あんたの親、生きてんのよ!!!」



その場の空気が、爆ぜた。

全員の動きが、一瞬で凍りつく。
音さえも、風さえも止まったような沈黙。

リオから告げられたことをすぐ理解できずに、トミーは頬を濡らしたまま、ただ硬直している。
パリスは浅い呼吸をつき、絶句したままその場の仲間達に目を見張っていた。
ウォーカーは息を吞み、ジェラルディンに視線を投げる。


沈黙を破ったのは、低く落ち着いた声。

――ダンだ。


“……本当に、見つかったんだ"


リンクシェルを通して、静かに告げる。

彼の視線はまっすぐトミーに向けられている。
いつもの鋭さとは違う、深い苦悩の滲む瞳。
そんな瞳と同じ、苦しみ抜いて紡ぎ出されたような声。
それは、戦場では決して聞くことのない、切なさを孕んだ声だった。


“二人は……生きてたよ”


その瞬間――
ノルヴェルトの全身に強烈な震えが走った。
一瞬で手足が凍り付き、呼吸が止まる。


昨晩の汽船での会話が、断片的に脳裏をよぎる。

『……ま、守れなかったと、思っていた人を……』

身体の奥で、心臓だけが暴れる。

『また、守ることができるとしたら……ノルヴェルトさんにとって、それは……』

呼吸がうまくできず、胸が押し潰されそうになる。
喉が絞まり、音が消え、指一本動かせない。
全身に残った傷跡が再び裂けたと錯覚するほどの震え。


この時、一瞬でノルヴェルトの身体を満たしたのは

あまりにも圧倒的な――“恐怖”だった。



<To be continued>

あとがき

第29話『風鳴りのブブリム』でした。
アズマは完全に、輩コンビに嵌められましたね♪ 合掌。

執筆再開時にお伝えした通り、今後のストーリーでは、
キャラクターの個性・これまでのシーンからの積み上げ・伝統のいじり(?)
――こういう“アハピの癖”要素をどんどんお見せいたします。
長く読んでくれている方ほど、「これは……!」と感じてもらえるはずです。
どうぞお楽しみに♪

今回は“アハピの癖”活用が三点、登場しました。
① アズマの冤罪体質。
プロローグでの少年アズマを思い出した方も多いはず。
あの頃から、彼は“ダンの掌で転がされる運命”なんでしょうね……。

② パリスのヘラヘラ笑いを逆手に取った変装。
いつもヘラヘラし過ぎて、笑顔を封じるだけで別人になれるという、まさかの奇策。
バシッと気取ったパリス、描いてくださる方、プレゼントお待ちしてます☆←は?

③ 単純かつ天才的方向音痴=トミー
ダンは言うまでもなく、もうお手の物です。
変態が感心しちゃうレベルの使いこなし。

また、ゲームプレイヤーの皆さんは、レベルやジョブが気になるかもしれません。
サポジョブ等に関しても今の常識を感じ取ってはいるのですが、もう大昔に書いたままで進めます。
時代が変わりすぎてしまいました。当時なかったサービスなども今はありそうですが、スルーします。
魔法に関しても、当初は基準を持って書いていましたが、『Ⅱ』や『Ⅳ』などはもう省くことにしました。
今さら原作に忠実にすることは重要ではないからです(;´∀`)
むしろ雑音になる可能性の方が強いので、ふんわり書くつもりです。いろんなことを。
ご了承ください。

…………で、ノルヴェルト。
震えが止まらないのはお前だけじゃない。

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