エピローグ
2005/07/15公開
分厚い黒雲が、空を覆っていた。
乾いたソロムグの大地に叩きつける雨は、恵みではない。
ただの、暴力だった。
獣人も、モンスターも、息を潜めている。
雨はすべてを塗り潰し、地を泥に変え、音で世界を支配していた。
その中を――黒い影が進む。
北西へ向かって。
フード付きの外套を纏った、一人の男。
街道を外れた場所を。
背に大鎌を負い、亡霊のように歩いていた。
ふと、足を止める。
視線の先。
雨に打たれながら、数羽のチョコボが動かずに立っていた。
濡れた羽は、くすんだ黄色に沈んでいる。
その背には、それぞれ一人ずつ。
男達。
四羽が、同時に動く。
男達が降りる。
泥を踏みしめ、歩み寄ってくる。
ローブの下で、金属が鳴った。
一定の距離で止まる。
「これ以上罪を重ねて、何になる?」
雨音の中。
大鎌を背負った男が、わずかに口を動かす。
「…………前にも、会ったな」
「サンドリアだ」
短く返す。
剣が抜かれる。
他の三人も続いた。
「……あぁ……あの時の…」
呟きは、雨に飲まれる。
四人の男達が、ローブを素早く脱ぎ捨てる。
濡れた布が、重く泥に沈んだ。
現れたのは、鎧姿のエルヴァーン。
「始末する前に、一つ聞く」
剣を構えたまま、言う。
「マキューシオという男と、その妻子は何処だ」
――雨音が、わずかに弱まる。
沈黙。
やがて。
鎌を背負った男が、ゆっくりとフードを外した。
濡れた長い銀髪が、背へと落ちる。
彼もまた。
尖った耳を持つ、褐色の肌。
同じ、エルヴァーン。
口元に、歪んだ笑み。
「貴様達には――決して行くことのできない場所だ」
銀髪の奥で答える。
「ほう。では、詳しく教えてもらうとしよう」
剣を構え直す。
「後で、ゆっくりとな」
鎌を背負った男は、苦笑したまま。
「分からないのか?」
銀髪から雫が落ちる。
「例え私を殺しても――貴様達は、あの男に消される」
「野良犬の戯言を聞く耳は持たん」
風が吹く。
雨が、斜めに叩きつける。
「……そうか……」
独り言のように。
「貴様がそれで良いのなら、構わない」
ぽつりと零す。
次の瞬間。
四人が、同時に踏み込んだ。
泥が跳ねる。
男の手が――大鎌を掴む。
* * *
夜中の内に豪雨が通り過ぎたジュノの町は、いつも通りの賑わいに包まれていた。
港には定刻通りに飛空艇が行き来し、通りでは大勢の冒険者達がそれぞれの目的地へと歩を進めている。
競売前は空くことを知らない。
通り沿いには冒険者達がバザーを開き、同業者の関心を引こうと声を張り上げる。
町の住人達とも上手くやっている彼らは、にこやかに挨拶を交わしていた。
チョコボ厩舎には、気を引き締めた表情の冒険者達が何組も入っていく。
ジュノ下層、競売近くにある小さな噴水。
人込みに疲れた者達が、ちらほらとその周りに腰を下ろしていた。
透き通った水が、綺麗な放物線を描いて水面へと帰っていく。
その片隅に、ノルヴェルトもまた腰を下ろしていた。
濡れた外套を羽織ったまま、行き交う人々を横目に眺めている。
ここが、これほどまでに賑やかな町になるとは。
時の流れというものは、恐ろしい。
水音は、絶え間なく響いている。
だがそれすら、冒険者達の喧騒にかき消されていた。
あの時、もう、何も分からなくなってしまえば良かったのだ。
気が触れてしまえばどんなに楽だったことだろう。
ふと思い起こす。
――覚えていない。
あの後、自分がどこへ行き、何をしていたのか。
ただ、気がつけば。
夜をさまよい、現れる刺客を斬り伏せていた。
振りかざすのは、あのフィルナードの握っていた大きな黒い鎌。
どれほどの時が流れたのかも、分からないまま、
気づけば――十七年。
数年ぶりに訪れたジュノの町。
その賑わいがあの頃に似ていると感じ、ノルヴェルトは静かに頭を垂れた。
……私は……もう、あなた方の年も追い抜いてしまいました……。
頭を垂れた拍子に、長い髪が肩から滑り落ちる。
その隙間から、自分の手と足が見えた。
あの頃の師と同じ――大人のもの。
だが。
かつて肩に置かれた、あの穏やかな手とは違う。
今、そこにあるのは。
傷だらけの手だった。
ゆっくりと、その手を顔へと持ち上げる。
指先が触れる。
皮膚の上をなぞるようにして、左の眉へ。
途中で断ち切られた眉。
その上に残る、深い斬撃の痕。
――師の剣が残した、傷。
亡者に殺されたはずのノルヴェルトは、皮肉にも、女神の奇跡によって蘇った。
しかし女神は――
師が刻んだ傷だけは、残した。
左の眉。
肩。
生々しい痕が、今も残っている。
あの時、あのまま自分の命が尽きていたら――
蘇ることなど、なかったはずだ。
ことごとく与えられる命が、呪わしい。
なぜ、自分は死なないのだろうか?
その問いは、いつからか。
ただ繰り返されるだけのものになっていた。
フィルナードが死に。
ドルススやワジジ。
たくさんの仲間達が、死んでいった。
セトもまた、無念の内に殺され――
やがて、マキューシオ達も……。
思い出すたびに。
燻り続けている感情が胸の奥で軋む。
底の見えない憎しみと、殺意。
自分の中に存在する感情は、それだけだ。
もう何もない。
他の感情を向けるものも。
大切なものも。
信じるものも。
これまでに何度、あの軍師の息子を殺しに行こうと考えたか知れない。
だが――
今のノルヴェルトは、あのマキューシオでさえ憎んでいた。
獣人よりも。
女神よりも。
誰よりも、あの師を。
なぜか。
裏切られたからではない。
――なぜ、私も連れて行ってくれなかったのですか。
マキューシオは、行ってしまった。
思い出の世界へ。
誰にも邪魔されない、永遠の楽園へ。
なぜ自分は拒まれたのか。
それが、分からない。
いつもいつもいつも、自分だけが残される。
それが――辛い。
きっと、死ぬまで恨み続ける。
なぜ連れて行ってくれなかったのかと。
待ち合わせをしていた冒険者が声を上げ、立ち去っていく。
――だが。
最後まで、師は言っていた。
『憎むな』と。
その言葉が、引っかかる。
憎むことをやめれば、何が変わる。
答えは出ない。
だから――追うことは、やめた。
執拗に命を奪うことは、しない。
襲ってきたなら、斬る。
それだけでいい。
数羽の小鳥が噴水にやってくる。
近年、刺客の襲撃は減っている。
理由は分かる。
冒険者という者達が増え、世界は変わった。
祖国だけに縛られない、視野の広い者達。
戦争を知らない世代も多い。
古い種族間の偏見も、持たない。
そういう人間が、増えた。
連中にとっては、動きにくい時代になったのだろう。
通りの賑わいが一段遠退く。
それでも。
ひとつだけ、譲れないことがある。
それは――テュークロッスの殺害。
相打ちでもいい。
むしろ、その方がいい。
この命が終わる時。
あの男もまた、終わるように。
その機会を、自ら作ろうとした夜は数知れない。
だが――最初にそう思った時。
胸の奥に、引っかかるものがあった。
このまま、終わってしまっていいのか。
そんな思いが、ふと過ぎった。
死ぬ前に、果たすべきことがある。
誰かに、伝えたい。
マキューシオという剣士が率いた、名も無き戦士団のことを。
彼らが、護るために戦い。
最後まで、勇敢に在り続けたことを。
このまま自分が死ねば――
本当の彼らを知る者は、いなくなる。
それだけは、耐えられなかった。
では――誰に?
周囲にいるのは、自分とは違う世界を生きる者ばかりだ。
語ったところで、気違いと思われるだけだろう。
――誰に、伝える?
その時。
遠くから、少女の泣き声が滲んできた。
幼い少女の泣く声。
霞のかかった記憶の奥で、確かに聞いた声。
あの少女は――死んでしまった。
自分は、助けられなかったのだから。
力尽きて崖の下に落ちてしまったのなら。
少女の行く先は、両親と同じ場所だろう。
だが。
もしも、あの時。
亡者に殺されていたのだとしたら――
自分と同じように。
この世界に、蘇っているのではないか。
少女の行く末を見ていない。
分からない。
しかし――それでも。
今もどこかで、泣いている気がしてならなかった。
何度夢を見ても、あの少女だけは現れない。
なぜいない?
あの子もまた――拒まれたのか。
笑顔は、思い出せない。
残っているのは、あの時の泣き顔だけだ。
――いる。
どこかで。
あの小さな少女は、今も泣いている。
そう思えた時。
ノルヴェルトは、決めた。
ソレリに伝える。
みんなのことを。
だが――
本当に、いるだろうか。
蘇っていたとしても。
幼いまま、一人きりだ。
無事に成長できるとは、思えない。
戦争は終わった。
それでも、この世界は危険に満ちている。
それに――
成長していたとしても。
記憶もなく、まったくの別人になっているかもしれない。
あるいは。
孤独のまま、飢え――
誰にも知られず、死んでいたとしても。
おかしくはない。
そう。
あの少女が今も生きている可能性など――
ほとんど、ない。
それでも。
――探し続けている。
十七年。
希望が薄いことなど、とうに分かっている。
やはり……いないのかもしれない。
そして。
記憶は、少しずつ色褪せていく。
遠く。
さらに遠く。
憎しみを押し込めているつもりで。
その実――記憶そのものが、失われていく。
やがて――分からなくなってくる。
自分は、すでに正気ではないのでは?
あの記憶は。
ただ、自分が作り出した幻想だったのではないか。
最初からーー
ずっと、一人だったのではないか。
不意に、怖くなる。
ノルヴェルトは、師が刻んだ傷に触れた。
目を閉じると――蠢く。
胸の奥で。
確かにある。
消えようのない、憎悪が。
それにすがり、記憶を手繰り寄せる。
夢ではない。
幻ではない。
そう、言い聞かせる。
もう――
こんなやり方でしか、思い出せない。
みんなの、笑い声?
肩に置かれた、手のぬくもり?
見守る、眼差し?
――確かにあったんだ……確かに!
もう、どうすればいいのか、分からない。
殺せばいいのか。
終わればいいのか。
捨てて、生きるのか。
それとも――
いもしない少女を探し、徘徊し続けるしかないのか。
ノルヴェルトは歯噛みする。
覆った手の隙間から、足元を睨みつけていた。
すると、その狭い視界に鮮やかなオレンジ色の球体が転がってきた。
自分の足にこつんと当たる。
それと同時に、遠のいていた喧騒が一気に押し寄せた。
「わわっ、すみません!」
その瞬間、身体が反応した。
動かないまま、視線だけを鋭く上げる。
見ると、転がってきたオレンジ色のものを、ヒュームの若い娘が慌てて拾い上げていた。
彼女はたくさんのサルタオレンジが入った袋を抱えており、転がった一つを拾うために屈んだ拍子に袋から別のオレンジが転がり出す。
慌ててそれも拾い上げる娘は、こちらに向かって頭を下げてもう一度謝罪の言葉を言う。
「何やってんの、早く行くわよ! ホンットどん臭いんだからあんたはっ」
ヒュームの娘の向こう側で若いミスラがきつい口調で悪態を付き、さっさと冒険者達の流れの中に紛れていく。
「あ、待ってくださいよリオさん!」
そのミスラの背中にそう訴えると、ヒュームの娘は最後にもう一度こちらに向かって頭を下げた。
そしてミスラを追って冒険者の流れの中に消えていく。
ノルヴェルトは、顔を覆っていた手を下ろした。
ぼんやりと人込みを眺める。
最初に感じたのは、疑問。
何処かで会ったことがあるのだろうかと。
その後、凄まじい衝撃が全身を駆け抜けた。
ふと、昔――自分が密かに思いを寄せていた女性に似ていると思った。
表情の作り方はまるで違う。
だが声は、あの女性のものとそっくりで。
瞳はーー
色が違うものの、あの優しい師のものとまったく同じで。
まるで枯れていた花の時が戻るように。
一瞬で色褪せた思い出達が鮮やかに蘇った。
抱き締められた力強さ!
見上げる、真っ直ぐな眼差し!
背中を叩く手!
共に吹かれた風!
肩に乗せられた、太い腕!
焚き火の暖かさ!
揺れる、金色の髪!
受け止めた剣の重み!
皮肉げな笑み!
怯えた、青い瞳!
――違う。
そんなはずがない。
ノルヴェルトは、ゆっくりと立ち上がる。
去っていった先を、ただ見つめる。
「…………ソレリ?」
* * *
石造りの城下町は夜も更け、この日は特に普段よりも人通りが少なくなっていた。
今頃皆、大切な人々と家の中で眠りについている。
子ども達は、明日の朝、自分の枕元に素敵な贈り物がやってくると信じて夢を見ているだろう。
そんな静かな夜の町。
少ない人通りの残るゲート近くに、一人の少女が立っていた。
少女は泣き腫らした目をぱっちりと開き、目の前にある大きなクリスタルを見上げていた。
神秘的な光を放っているそのクリスタルの美しさに見惚れているのだろうか。
少女はただ呆然と、その青いクリスタルを見上げて立っていた。
「……ねぇ、どうしたの?」
後ろからそっと声がかけられる。
少女は振り返らず、じっとその青い瞳でクリスタルを見上げたままだ。
一人でクリスタルを見上げて立ち尽くしている少女に声をかけたのは、若いミスラの女性だった。
女性は少女に自分の声が聞こえていないのかと思い、少女の隣りに屈んでもう一度尋ねる。
「どうしたの?」
すると、少女は不思議そうにミスラへ顔を向けた。
心配そうな笑みを浮かべて首を傾げているミスラに対し、少女も首を傾げてみせる。
「一人?」
ミスラは何も言わない少女に対し、続けてそう尋ねた。
少女は彼女の問いが聞こえているのかいないのか、ふいとミスラから視線を逸らした。
キョロキョロと周りを見回し始めると、街灯が転々としている夜の薄暗い中、ゲート脇にエルヴァーンの兵士が立っているのに気がついた。
この国はエルヴァーンの国だ、ガードがエルヴァーンなのは極自然のこと。
だが、少女は酷く驚いた様子でいきなりミスラに抱きついた。
屈んだミスラの懐に潜り込むようにして必死にしがみつく。
状況が分からないミスラは、とりあえず少女をそっと抱き締めて震える背中を擦った。
そして、三つ目の質問をする。
「あなた……お名前は?」
上から聞こえてくる声を今度は聞き取ったらしく、少女が顔を上げた。
少女はなぜか、その簡単な問いに、何を言ったら良いのか思いつかなかった。
何かを思い出そうとするどころか、必死に忘れようとしている自分にも、気がついていない。
やがて少女は、はっと自分の手元を見下ろす。
そして唯一の友達がいないことに気が付き、思わず友達の名が口から零れた。
「……トミー……」
静かな星の夜だった。
あとがき
『思い出よ、永久に美しく』はこれで完結です。第二章は、書いている私自身も本当に心が擦り減りました。
しんどくて、美しくて、切なくて……正直、うまく言葉にできません。
彼らが選んだ道や、残された想いは、きっと読み手の皆さんの中にも何かを残してくれると信じています。
そして、読んでくださった皆さんの感想が何よりの支えになります。
言葉にするのは難しいかもしれませんが、一言でも聞かせてもらえたら嬉しいです。
第三章では、彼らが背負ったものがどう繋がっていくのか、ぜひ見届けていただけたら幸いです。
この章を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。